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|管理運営=[[財団法人]]大阪市美術振興協会
|年運営費=162,173,000円(平成19年度)
|館長 =出川哲朗<ref group="注">[[出川哲朗|同姓同名のお笑いタレント]]とは別人。</ref>
|延床面積=
*|延床面積 - =3,922[[平方メートル|m<sup>2</sup>]]
*|設計 - =[[日建設計]] (担当:[[横川隆一]] )
|研究職員=
|開館=[[1982年]](昭和57年)[[11月7日]]
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[[File:Buncheong ware drum-shaped bottle with iron brown decoration of fish, bird and lotus, late 15th-early 16th century Korean, Museum of Oriental Ceramics, Osaka.jpg|thumb|180px|粉青沙器白地鉄絵蓮池鳥魚文俵壺 朝鮮時代 15 - 16世紀]]
[[File:Vase Phoenix Handles Celadon.JPG|thumb|180px|青磁鳳凰耳花生 南宋時代(重要文化財)]]
'''大阪市立東洋陶磁美術館'''(おおさかしりつとうようとうじびじゅつかん)は、[[大阪府]][[大阪市]][[北区 (大阪市)|北区]][[中之島 (大阪府)|中之島]]一丁目にある[[美術館]]。 [[住友グループ]]から寄贈された'''安宅コレクション'''(あたかコレクション)と呼ばれる東洋[[陶磁]]コレクションを核として[[1982年]](昭和57年)に設立。館長は出川哲朗<ref>[[出川哲朗|同姓同名のお笑いタレント]]とは別人。</ref>
 
== 概要 ==
[[高麗]]・[[朝鮮]]時代の[[朝鮮陶磁]]、[[中国陶磁器|中国陶磁]]を中心に、[[国宝]] 2件、国の[[重要文化財]] 13件を含む約4000点が収蔵されている。この珠玉の[[コレクション]]は、安宅コレクションを中心に、他のコレクションからの寄贈や購入を加えて、徐々にその数を増していったものである。
 
安宅コレクションは、[[1977年]](昭和52年)に経営破綻した大手[[総合商社]]の[[安宅産業|安宅産業株式会社]]および創業家二代目の[[安宅英一]]会長が収集したものである。発端は、近代日本画の[[速水御舟]]の作品をまとめて購入できる機会があったため<ref>『ザ・ラストバンカー <small>西川善文回顧録</small>』p.96。</ref>、[[1951年]](昭和26年)安宅産業の[[取締役会]]で、企業利益の社会還元と社員教養の向上のため、美術品収集を会社事業の一環として行うこと正式に決議したことによる。この構想を練り、首脳陣に根回しして実現させたのが安宅である。安宅英一は社業の傍ら東洋陶磁の[[コレクション]]形成に心血を注ぎ、他の[[コレクター]]の名品も次々とここに収集していった。その総額は二十数年間七十数億円にも上る。そのため特に初期には、世間から金にかせて買いまくっていという批判も強かったが、実際には異なる。あくまで会社のコレクションのため、購入には月々の購入限度額が決まっており、会社の了解を取らねばならなかった。名品が出てきた時には資金を1年先、2年先まで先食いしていたのが実際の所で、これが改善されたのは会社の景気が良くなった昭和40年代後半頃だという<ref>「大阪市立東洋陶磁美術館 艦長インタビュー [伊藤郁太郎]」『「美の求道者・安宅英一の眼─安宅コレクション」展図録。』、p.245。</ref>
 
英一は社業の傍ら東洋陶磁のコレクション形成に心血を注ぎ、他の[[コレクター]]の名品も次々と安宅コレクションに加えていった。その総額は二十数年間で七十数億円にも上る。そのため特に初期には、世間から金にあかせて買いまくっているという批判も強かったが、実際には異なる。あくまで会社のコレクションのため、購入には月々の購入限度額が決まっており、会社の了解を取らねばならなかった。名品が出てきた時には資金を1年先、2年先まで先食いしていたのが実際の所で、これが改善されたのは会社の景気が良くなった昭和40年代後半頃だという<ref>「大阪市立東洋陶磁美術館 艦長インタビュー [伊藤郁太郎]」『「美の求道者・安宅英一の眼─安宅コレクション」展図録。』、p.245。</ref>。
安宅産業は[[1977年]](昭和52年)10月1日に伊藤忠商事に吸収合併され、伊藤忠商事が引き受けない残存財産のうち、2000億円余りを[[住友銀行]](現[[三井住友銀行]])を含め16行で吸収合併前日に一斉償却し、残る約3000億円は受け皿会社'''エーシー産業'''を[[1977年]](昭和52年)4月に設立し、東洋陶磁コレクションも引き継がれた。しかし貴重で体系的な[[コレクション]]の散逸を惜しむ各方面の意見により、[[1980年]](昭和55年)3月に住銀頭取[[磯田一郎]]は公共機関に寄托することが最もふさわしいと判断し、[[大阪市]]への寄贈を決めた。大阪市の負担を回避するために、住友銀行を中心とした[[住友グループ]]21社の協力のもと、965件、約1000点の買い取り資金が[[1982年]](昭和57年)3月までの2年間に、総額152億円を大阪市の文化振興基金に寄付し<ref>このスキームを利用すれば法人税法上、寄付をした全額を損金として処理できるため、この寄付に応じた各社にとっても税負担の圧縮等メリットがあった</ref>、その寄付金で大阪市が買い取ることにした。美術館の建築資金18億円は、基金への寄付金の積み立てに伴う運用利息で賄った<ref>[[西川善文]]『ザ・ラストバンカー <small>西川善文回顧録</small>』([[講談社]]、2011年) ISBN 978-4-06-216792-5 第二章 宿命の安宅産業 p85-97を参照。</ref>。
 
安宅産業は[[1975年]](昭和50年)に経営危機が発覚。[[1977年]](昭和52年)10月1日に[[伊藤忠商事]]に[[吸収合併]]された。
詳しい経緯は、[[安宅英一]]の側近で初代館長の[[伊藤郁太郎]]が、『美の猟犬 安宅コレクション余聞』([[日本経済新聞出版社]]、[[2007年]])で回想している。伊藤によると、安宅は経営危機でコレクションへの発言権を失っていく最中に、「会社のためなら、安宅コレクション一切を投げ出してもよいのですよ。それで会社が救われさえすれば…」と漏らしていたという。また、東洋陶磁美術館開館後に館を訪れた安宅に、伊藤が「あれほど一生延命お集めになったコレクションが、人出に渡ってしまって、さぞお口惜しいことでしょう。お気落としになっておられるでしょうね、と慰めて下さる方が多いです。」と言うと、安宅は「コレクションは、誰が持っていても同じでしょう」と答え、コレクションがどのような結末を迎えようが、コレクションとして続く限りその価値は変わらないという、安宅のコレクターとしての境地を示している<ref>伊藤郁太郎 「[論考]ものとして 語らしむ─安宅英一の美学」『「美の求道者・安宅英一の眼─安宅コレクション」展図録。』、p.230。</ref>。
* {{main|[[安宅産業破綻]]}}
 
伊藤忠商事が引き受けない残存財産のうち、2000億円余りを主力銀行の[[住友銀行]](現:[[三井住友銀行]])を含め、取引16行が合併前日に一斉償却した。また残る約3000億円に関しては、合併に先立って、受け皿会社のエーシー産業を1977年4月に設立。この折に鑑定評価額が当時で152億円にもなった約1000点の東洋陶磁コレクションも、ひとまず同社が引き継いだ。なお速水御舟の作品106点は、合併の前年9月に、一括して[[山種美術館]]に購入してもらっている。この東洋陶磁コレクションの帰趨については、[[文化庁]]をはじめとする関係各方面から、貴重で体系的なコレクションを散逸させることなく、保存に善処を望む要望が数多く寄せられていた<ref>『ザ・ラストバンカー <small>西川善文回顧録</small>』p.97。</ref>。
寄贈された安宅コレクションは965件で、その内訳は以下のとおりであった<ref>伊藤郁太郎「20年の歩み」『大阪市立東洋陶磁美術館20年史』、2002</ref>。
 
安宅産業は[[1977年]](昭和52年)10月1日に伊藤忠商事に吸収合併され、伊藤忠商事が引き受けない残存財産のち、2000億円余りを[[住友銀行]](現[[三井住友銀行]])を含め16行で吸収合併前日に一斉償却、残る約3000億円は受け皿会社'''エーシー産業'''を[[1977年]](昭和52年)4月に設立し、東洋陶磁コレクションも引き継がれ。しかし貴重で体系的な[[コレクション]]の散逸要望惜しむ各方面の意見により踏まえ、[[1980年]](昭和55年)3月に住銀頭取[[磯田一郎]]住銀頭取は公共機関に寄托することが最もふさわしいと判断し、[[大阪市]]への寄贈を決めた。大阪また市の負担を回避するために、住を中心とした[[住友グループ]]21社の協力のもと、965件、約1000点の買い取り資金が[[1982年]](昭和57年)3月までの2年間に、総額152億円を大阪市の文化振興基金に寄付<ref group="注">このスキームを利用すれば法人税法上、寄付をした全額を損金として処理できるため、この寄付に応じた各社にとっても税負担の圧縮等メリットがあった</ref>。市はその寄付金で大阪市が965件、約1000点のコレクションを買い取ることにした。またコレクションを収蔵・展示するため、市は[[中之島公園]]内に美術館の建設を決定するが、その建築資金18億円は、基金への寄付金の積み立てに伴う運用利息で賄った<ref>[[西川善文]]『ザ・ラストバンカー <small>西川善文回顧録</small>』([[講談社]]、2011年) ISBN 978-4-06-216792-5 第二章 宿命の安宅産業 p85p.85-97を参照。</ref>。
 
詳しい経緯は、[[安宅英一]]の側近で初代館長の[[伊藤郁太郎]]が、『美の猟犬 安宅コレクション余聞』([[日本経済新聞出版社]]、[[2007年]])で回想している。伊藤によると、安宅英一は経営危機でコレクションへの発言権を失っていく最中に、「会社のためなら、安宅コレクション一切を投げ出してもよいのですよ。それで会社が救われさえすれば…」と漏らしていたという。また、東洋陶磁美術館開館後に館を訪れた安宅英一に、伊藤が「あれほど一生延命お集めになったコレクションが、人出に渡ってしまって、さぞお口惜しいことでしょう。お気落としになっておられるでしょうね、と慰めて下さる方が多いです。」と言うと、安宅英一は「コレクションは、誰が持っていても同じでしょう」と答え、コレクションがどのような結末を迎えようが、コレクションとして続く限りその価値は変わらないという、安宅英一のコレクターとしての境地を示している<ref>伊藤郁太郎 「[論考]ものとして 語らしむ─安宅英一の美学」『「美の求道者・安宅英一の眼─安宅コレクション」展図録。』、p.230。</ref>。
 
寄贈された安宅コレクションは965件で、その内訳は以下のとおりであった<ref> 伊藤郁太郎「20年の歩み」『大阪市立東洋陶磁美術館20年史』、2002</ref>。
* 中国陶磁 144件([[漢]]から[[唐]]43、[[宋 (王朝)|宋]]33、[[元 (王朝)|元]]・[[明]]68)
* 朝鮮陶磁 793件([[高麗]]陶磁304、朝鮮陶磁485)
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朝鮮陶磁は数も多い上に作風も多様で、今日成し得るコレクションとしては歴史的変遷、陶芸技法による分類の上でもほぼ完全で、私的なコレクションとしては世界第一と言って良い。一方、中国陶磁については名品主義的で質は極めて高いが、[[清]]代陶磁が1点もないなど陶磁史的には不完全である。また、展示公開は厳選主義で行っているため、安宅コレクションは名品ばかりと思われている面もあるが、実際にはあまり人に見せたくない作品も混じっているという。
 
[[1982年]](昭和57年)に[[美術館]]の開館した後も、さらに複数の[[コレクター]]からの寄贈を受け、特に[[1999年]](平成11年)には[[在日コリアン|在日韓国人]]実業家[[李秉昌]]からの寄贈で、多くの朝鮮陶磁の名品が所蔵された。
 
== 建築概要 ==
*竣工 - 1982年10月(本館)、1998年9月(新館)
*構造・規模 - [[RC]]+[[SRC]]、地上3階建、地下1階建
*建築設計 - [[日建設計]] (担当:[[横川隆一]] )
*構造・規模 - RC+SRC、地上3階建、地下1階建
*延床面積 - 3,922[[平方メートル|m<sup>2</sup>]]
*備考 - [[BCS賞]]受賞(1982年)
 
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[[File:Three Color Ceramic Jar Nara.JPG|thumb|180px|奈良三彩壺(重要文化財) 奈良時代 8世紀]]
=== 国宝 ===
*油滴[[天目茶碗]]([[南宋]]、{{仮リンク|建窯|zh|建?}})12-13世紀 [[豊臣秀次]]、[[西本願寺]]、[[三井家]]を経て若狭[[酒井家]]伝来
*飛青磁花生([[元 (王朝)|元]]、龍泉窯)13-14世紀 [[鴻池家]]伝来
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== 脚注 ==
{{reflist脚注ヘルプ}}
=== 注 ===
<references group="注" />
=== 出典 ===
{{Reflist}}
 
== 参考文献 ==
* 大阪市立東洋陶磁美術館編大阪市立東洋陶磁の求道者・安宅英一の眼─安宅コレクション」展図録。術館20年史 : 1982-2002読売新聞社大阪本社市立東洋陶磁美術館200720024月
* 大阪市立東洋陶磁美術館編 『「美の求道者・安宅英一の眼─安宅コレクション」展図録。』[[読売新聞大阪本社|読売新聞社大阪本社]]、2007年。
* 伊藤郁太郎『美の猟犬 安宅コレクション余聞』[[日本経済新聞出版社]]、2007年。ISBN 4532124131
* [[西川善文]]『ザ・ラストバンカー <small>西川善文回顧録</small>』[[講談社]]、2011年。 ISBN 978-4-06-216792-5
 
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Museum of Oriental Ceramics, Osaka}}
* [[安宅英一]]
* [[安宅産業]]
* [[安宅産業破綻]]
* [[朝鮮半島から流出した文化財の返還問題]]