「エルンスト2世 (ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公)」の版間の差分

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[[ファイル:Herzog Ernst II Braunschweig-Lueneburg.JPG|thumb|エルンスト2世]]
'''エルンスト2世'''(Ernst II., [[1564年]][[12月31日]] - [[1611年]][[3月2日]])は、[[ブラウンシュヴァイク=リューネブルク|ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公]]の1人で、[[リューネブルク侯領|リューネブルク]][[リューネブルク君主一覧|侯]](在位:[[1592年]] - 1611年)。リューネブルク侯[[ヴィルヘルム・デア・ユンゲレ (ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公)|ヴィルヘルム]]と妃[[ドロテア・ア・ダンマーク (1546-1617)|ドロテア]]の長男。[[クリスティアン (ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公)|クリスティアン]]、[[アウグスト1世 (ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公)|アウグスト1世]]、[[フリードリヒ4世 (ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公)|フリードリヒ4世]]、[[ゲオルク (ブラウンシュヴァイク=カレンベルク公)|ゲオルク]]の兄。
 
初め[[マルティン・ルター大学ハレ・ヴィッテンベルク|ヴィッテンベルク大学]]で学び、次いで[[ライプツィヒ]]、[[ストラスブール]]へ赴いたが、父の健康が悪化、[[ツェレ]]へ引き返した。1592年、父の死により侯爵位を継承した。即位後は弟のクリスティアンと8年間権力を分け与えるよう貴族達と条約を結んだが、その後は死ぬまで単独で統治した。父からは借金も引き継いだため、その返済に奔走した。子が無く、1611年の死後、クリスティアンが次の侯爵となった。