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[[1955年]](昭和30年)[[8月10日]]、商用周波数による[[交流電化]]の試験のため、陸前落合 - 熊ケ根間に日本初の交流電化が実施された。当初は、世界で初めて商用周波数による交流電化を実用化したフランスからの試作機導入を目論んだが不調に終わり、[[交流]]を使用して[[交流整流子電動機|交流整流子モーター]]を直接駆動する方式(直接式)と、交流を[[整流器]]で[[直流]]に整流して[[直流電動機|直流モーター]]を駆動する方式(間接式)の2方式の交流用電気機関車([[国鉄ED44形電気機関車|ED44形]]・[[国鉄ED45形電気機関車|ED45形]])や電車([[国鉄31系電車#交流試験車への改造|クモヤ790形]])を日本国内で試作し、各種の試験に供した。[[1957年]](昭和32年)[[9月5日]]、試験区間は仙台 - 作並間に拡大され、同時に交流電化区間における営業運転が開始された。
 
作並 - 山寺間はすでに[[直流電化]]されていたので、作並駅は日本初の交直流接続駅となり、交流と直流の[[デッドセクション|地上切り替え]]のための設備が設けられた。また、交流電化と直流電化の2つの異なった電化区間を直通運転するため、日本初の[[交直流電車|交直流両用電車]]([[国鉄72系電車#クモヤ491形→クモハ491形|クモヤ491形]]・クヤ490形)が試作され、車上切り替えの試験も実施された。
クモヤ491形は、試験終了後、旅客用車両に改造され[[国鉄72系電車#クモヤ491形→クモハ491形|クモハ491形]]・クハ490形となって当線の臨時列車に運用された。
 
ここで得られたデータや技術は、以後の幹線交流電化やそこで運転される車両にもに活かされ、さらには[[新幹線]]の成功にもつながっていくことになる。