「李恢成」の版間の差分
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[[北海道札幌西高等学校]]から、[[早稲田大学]][[第一文学部]][[露文科]]に進学。大学時代は留学生運動の中で活動していた。大学卒業後、最初は朝鮮語による創作をめざしたが果たせず、日本語での活動を志す。[[朝鮮新報]]社などに勤めたが、その後は[[朝鮮総連]]から離れ、1969年の群像新人文学賞受賞を期に作家生活に入る。
[[1972年]]に『砧をうつ女』
[[1970年]]にひそかに訪韓した後、芥川賞受賞後の[[1972年]]に再び訪韓する。このときは[[朝鮮籍]]であった。しかし、その後は長期にわたって韓国政府当局から入国を拒否される。ふたたび韓国入国ができたのは、[[1995年]]11月のことであった。その後も、国籍問題を理由に何度も韓国当局との間で入国をめぐるやりとりがあった。
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