「アルハンブラ宮殿」の版間の差分

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建築の材料には、レンガ、[[木材]]、練土などのもろいものが多く、彫刻を施した石材などは最低限しか使用されていない。アルハンブラ宮殿の中心は、いくつかの建造物に囲まれた中庭(パティオ)におかれ、他の[[イスラーム建築]]の例に倣っている。
 
建物は白を基調としているが、アルハンブラとは[[アラビア語]]で「'''赤い'''城塞」を意味するアル=カルア・'''アル=ハムラー''' ({{lang|ar|القلعة الحمراء}}, {{unicode|al-qal‘ah al-ḥamrā'}}) と呼ばれていたものが、[[スペイン語]]において転訛したものである<ref>{{Cite bookSfn|和書 |author = 新建築社 |year = 2008 |title = NHK 夢の美術館 世界の名建築100選 |publisher = [[新建築社]] 2008|page p= 140 |isbn = 978-4-7869-0219-2}}</ref>。この名称の由来については、城塞周辺の土地の土壌が赤いため、あるいは建築に使われた[[煉瓦]]の色であるとか、宮殿が赤い[[漆喰]]で覆われていたからなど諸説あるが、{{要出典範囲|[[イブン・アルハティブ]]は、アルハンブラ宮殿増築の時、夜を通してかがり火を燃やして工事したためグラナダ平野から見上げた宮殿は赤く染まって見えたことからこのように呼ばれたという説を唱え、これが一般的な説として通用している。|date=2014年1月}}スペイン語表記ではAlhambraと綴る。
 
== 歴史 ==
アルハンブラは構造的には一つの城塞都市であるが、当初から全体の形が計画されていたのではない。異なる時代に建てられた様々な建築物の複合体であり、時代により、建築様式や形状などが異なっている<ref>{{Cite bookSfn|和書 |author = [[光嶋裕介]] |year = 2017 |title = 建築という対話 僕はこうして家をつくる |publisher = [[筑摩書房]] 2017|page p= 203 |isbn = 978-4-480-68980-1}}</ref>。その前半は[[ムーア人]]王朝の栄枯盛衰と共にあり、[[9世紀]]末イベリア半島南部を版図としていた[[後ウマイヤ朝]]末期の、アルカサーバと呼ばれる砦が原形であるとわれている{{Sfn|『ヨーロッパの「古城・宮殿」がよくわかる本』|2010|p=176}}。これは、[[アラブ人]]が農民の反乱軍からの防御壁として築いたものである。
 
イスラム教徒がイベリア半島に進出する前、[[8世紀]]初頭まで、この地は西ゴート王国の支配下にあった。[[711年]]、ウマイヤ朝の北アフリカ総督である[[ムーサー・イブン・ヌサイル]]が武将ターリクに命じ、[[トレド]]までを占領。その後数年で、イベリア半島全域がイスラーム圏となった。この地に、最初に栄えたのが後ウマイヤ朝であるが、このときの都はまだ[[コルドバ (スペイン)|コルドバ]]であり、グラナダの丘の上には軍事要塞アルカサーバだけが建てられていた。現在、アルハンブラの最も西の部分である。
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{{脚注ヘルプ}}
{{reflist}}
 
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書 |author = 新建築社 |year = 2008 |title = NHK 夢の美術館 世界の名建築100選 |publisher = [[新建築社]] |isbn = 978-4-7869-0219-2 |ref={{SfnRef|『NHK 夢の美術館 世界の名建築100選』|2008}}}}
* {{Cite book|和書 |author = [[光嶋裕介]] |year = 2017 |title = 建築という対話 僕はこうして家をつくる |publisher = [[筑摩書房]] |isbn = 978-4-480-68980-1 |ref={{SfnRef|『建築という対話』|2017}}}}
* {{Cite book|和書 |author = [[桐生操]]監修、レッカ社編 |year = 2010 |title = ヨーロッパの「古城・宮殿」がよくわかる本 |publisher = [[PHP研究所]] |series = [[PHP文庫]] |isbn = 978-4-569-67468-1 |ref={{SfnRef|『ヨーロッパの「古城・宮殿」がよくわかる本』|2010}}}}
 
== 関連項目 ==