「ハーモニカ」の版間の差分

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ハーモニカの発明者は諸説あるが、その起源は[[1820年]]頃に作られた[[オルガン]]の調律用の道具が有力とされる。1821年、[[ドイツ]]の[[ベルリン]]で、オルガン職人の息子、クリスチャン・フリードリッヒ・ルードヴィッヒ・ブッシュマン ([[:en:Christian Friedrich Ludwig Buschmann|Christian Friedrich Ludwig Buschmann]]、1805年6月17日 - 1864年10月1日) という当時16歳の少年が試作した、「AURA(オーラ)」というオルガンの調律用に鉄製リードを付けた笛がハーモニカの原型として有名である。彼は[[アコーディオン]]の発明者としても知られている。
 
====リヒター配列(ハーモニカの現在の西洋式標準配列)の考案====
初期のハーモニカの原初的楽器は全ての音階が、単純な全て吹音楽器であった。それを改良し、吹く、吸うを交互に配列したリヒターハーモニカの発明最古の公表は、道具製作誌"Zeitschrift f・ Instrumentenbau" (Journal of Instrument Making) の1883年4月刊行の第3巻第21号に発表された物がある。道具製作誌(第2巻第23号、1882年9月)での公表では、1828年にハイド(Haid) でビジネスを開始し、後に[[バイエルン州]]へ移転後、既に「Joseph Richter」と呼ばれる名称でハーモニカ・メーカーに発展し、制作されていた。1867年に楽器のその多くは、ドイツ、[[オーストリア]]、[[スイス]]などに販路を拡大していた。現代のハーモニカの音階の標準配列を考案したのは、このジョセフ・リヒター (Joseph Richter) により開発された物のため、西洋式標準配列は「リヒター配列」とも呼ばれる。
 
====クロマチック・ハーモニカの完成====
ハーモニカは、ポケットに入れて持ち歩ける簡便な楽器であったため広く普及したが、この当時のハーモニカは半音が出せないためアンサンブルには不向きであり、アマチュアの楽器と考えられていた。1920年代に現在と同じ構造の半音が出せる、クロマチック・ハーモニカ (Chromatic Harmonica) が開発され、ハーモニカがあらゆる楽器と競演できるように発展した。例えば、ラリー・アドラー、トミー・ライリー、ジョン・セバスチャンなどのプロ・[[音楽家|ミュージシャン]]も登場した。伴奏用の各種ハーモニカも開発され、数多くのハーモニカ・[[バンド_(音楽)|バンド]]が[[ナイトクラブ]]や[[ステージショー]]の芸人として活躍した。しかし、クロマチック・ハーモニカ自体は複雑な機構をもつので、メンテナンスにはある程度の技術を要するのと、複雑な構造なゆえに故障も多く、そして価格は高い物だった。
 
===欧州での歴史===
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1855年には、ドイツには3つの大きなハーモニカ・メーカーがあった。サイドル・ゾーン (C. A. Seydel Söhne)、クリスチャンメスナー·アンド·カンパニー (Christian Messner & Co.) 、そして ヴォルット・ハルモニカファブリック(Württ. Harmonikafabrik Ch. WEISS.)である。現在、唯一サイドル・ゾーン社のみ現存している。
 
====世界最古のハーモニカ・メーカー、サイドル・ゾーン社の生き残りと復活====
一般的には、1827年が、ハーモニカの誕生年になっている。現存する世界最古のハーモニカ・メーカーは、チェコ国境に近いドイツ東部の町・クリゲンタール (Klingenthal) でクリスチャン・アウグスト・サイドル(Christian August Seydel) が興したハーモニカ専門メーカーのサイドル・ゾーン社 (C.A.Seidel Söhne) である。1847年の創業だが、[[第二次世界大戦]]後、企業等の国有化を推進してきた[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]政府から工場は接収され、また“SAYDEL”の名前を使うことを禁じられてしまう。その結果、50〜60年代のブルースやロックの時代の流れに取り残されてしまった。1989年にドイツの東西の壁が取り壊されてから、工場はサイドル一族の元に返還されたが、2004年に一度倒産し、その後立て直しをして3度目の創業として現在に至る。
 
====ホーナー社の登場====
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HOHNER Werbung.jpg|ホーナー社のハーモニカ「マリンバンド」の米国での広告。価格は50セントだった。
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ホーナー社は世界的なハーモニカメーカーとなった。1896年にホーナー社から発売された同社の'''マリンバンド'''という単音十穴ハーモニカは[[ブルース]]奏者の愛用するところとなり、独特の奏法も生まれた。'''マリンバンド'''とは当時憧れの的であったアメリカ海軍軍楽隊の名前で、価格は、当時 US 50セントだったという。この価格設定は、実に巧妙で、ピアノやサキソフォーンは無理でも、何ヶ月か貯金をすると貧しい黒人社会の人間でも購入できる楽器であった。本体を横から見た姿が[[ハープ]]に似ているということから当時のハーモニカは米国でも「マウス・ハープ」と呼ばれたため、ホーナー社は'''ブルースハープ'''というモデルを発売した。この名称は現在ではメーカーを問わず、単音十穴ハーモニカを指して呼ぶほどの知名度を獲得した。
 
====ヘリング・ハーモニカの登場と没落とその復活====
1923年、ドイツ移民のアルフレッド・ヘリング(Alfred Hering) によって[[ブラジル]]南部の[[ブルメナウ]]市(Blumenau)に設立されたヘリング社 (HERING Harmônicas)は、長年にわたり、良質なハーモニカの生産において一定の評判を得てきた。その後、アルフレッド・ヘリングの死後、1966年にヘリング一族はドイツのトロッシンゲンにある、ドイツ・ホーナー社(M. Hohner)に株式を全て売却した。16年後の1996年、アルベルト・ベルトラッツィ (Alberto Bertolazzi) をリーダーとする投資家グループがヘリング社を買収し、ホーナー社は撤退した。最高品質の製品を製作するという構想により、ベルトラッツィとその経営チームは、ヘリング社をその原点であるハーモニカ専門メーカーへと戻した。ただし1979年までドイツ・ホーナー社の傘下にあり、ホーナー社の技術力を吸収し、スキルを高めてきた。日本への国内代理店は[[ヤマハ]]が担当していたが、2012年現在は扱い停止中である。
 
===日本===
====ハーモニカの日本への渡来と国内企業の誕生====
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Harmonica_player_in_Japan.jpg|[[大井川鐵道]]の「ハーモニカ車掌」
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大正から昭和初期にかけてハイカラ好きの若者の間でハーモニカは人気があり、日本では[[太平洋戦争]]終了以前は、「[[口琴]]」とも言われていた。プロの間では以前はこの言葉が使われていた。中国語圏では現在でもこの表記が通用する。1905年(明治38年)、日本で販売されたホーナー社のハーモニカ名は「カチドキ笛」である。[[日露戦争]]時に販売されたためにつけられた名前であり、ホーナー社の商売の巧さを垣間見ることが出来る。それらの流行から、大正から昭和初期にかけて各大学などにもハーモニカ・[[アンサンブル]]が作られるなど、[[マンドリン]]と人気を二分した。
 
====ハーモニカ・プロ演奏家の登場====
ハーモニカの隆盛の流れに乗って、[[川口章吾]] (Kawaguchi Syōgo)、[[佐藤秀廊]] (Satō Hiderō)、[[宮田東峰]] (Miyata Tōhō)などのプロの演奏家も生まれた。
 
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<!--出典元 「佐藤秀廊 ハーモニカ独奏曲集 1 [楽譜]」日本ハーモニカ連盟推奨図書 出版社: ケイ・エム・ピー (1998/12/10) ISBN 978-4773205084 に於ける巻末付録・佐藤氏の詳細な来歴とハーモニカの歴史より抜粋-->
 
====マイナー・キー・ハーモニカの完成====
それまでメジャー・キー・ハーモニカ (Major Key Harmonica) しかなかったが、1930年(昭和5年)、[[佐藤秀廊]]を中心にマイナー・キー・ハーモニカ (Minor Key Harmonica) が世界で初めて日本に於いて完成された。 1931年(昭和6年)、佐藤秀廊は世界初のマイナー・キー・ハーモニカによる、最初の純無伴奏形式独奏曲「荒城の月(幻想的変奏曲)」を発表する。以上のように、昨今では演歌やシャンソンなどでは欠かせないマイナー・コードのハーモニカは、意外と近年になり登場した。マイナー・キー・ハーモニカには現在、2種類あり、現代音楽やシャンソン、中南米のフォルクローレなどに向いている音階配列の「ナチュラル・マイナー・キー・配列」(Natural Minor Key Harmonica) と日本の民族音楽(演歌) などを奏でる時に便利な配列の「マイナー・キー・配列」(Minor Key Harmonica) がある。海外では「ナチュラル・マイナー・キー・配列」の方が圧倒的に多く使用されているが、日本の音楽などには「マイナー・キー・配列」は欠かせないので、日本国内でハーモニカを購入する場合、大抵はマイナー・キー・ハーモニカといえば「マイナー・キー・配列」の物を指し、「ナチュラル・マイナー・キー・配列」は特注品だったりする。然し個人が海外から輸入する場合は、このことに対しての注意して輸入する必要がある。海外で「マイナー・キー配列」は「ハーモニック・マイナー・キー配列」と呼び混同を避けている。
<!--出典元 CD「ハーモニカによる日本のうた ・佐藤秀廊」tontec recod発刊 CD付録ブックレットによる来歴-->
<!--出典元 「佐藤秀廊 ハーモニカ独奏曲集 1 [楽譜]」日本ハーモニカ連盟推奨図書 出版社: ケイ・エム・ピー (1998/12/10) ISBN 978-4773205084 に於ける巻末付録・佐藤氏の詳細な来歴とハーモニカの歴史より抜粋-->
 
===クロマチック・=日本ハーモニカの完成オリンピック====
ハーモニカは、ポケットに入れて持ち歩ける簡便な楽器であったため広く普及したが、この当時のハーモニカは半音が出せないためアンサンブルには不向きであり、アマチュアの楽器と考えられていた。1920年代に現在と同じ構造の半音が出せる、クロマチック・ハーモニカ (Chromatic Harmonica) が開発され、ハーモニカがあらゆる楽器と競演できるように発展した。例えば、ラリー・アドラー、トミー・ライリー、ジョン・セバスチャンなどのプロ・[[音楽家|ミュージシャン]]も登場した。伴奏用の各種ハーモニカも開発され、数多くのハーモニカ・[[バンド_(音楽)|バンド]]が[[ナイトクラブ]]や[[ステージショー]]の芸人として活躍した。しかし、クロマチック・ハーモニカ自体は複雑な機構をもつので、メンテナンスにはある程度の技術を要するのと、複雑な構造なゆえに故障も多く、そして価格は高い物だった。
 
===日本ハーモニカオリンピック===
「第4回アジア太平洋ハーモニカ大会2002厚木」(俗に言われる、日本ハーモニカオリンピック)を境として、ハーモニカ人口が再び増えてきている。ただ、レッスン場が不足気味であり、指導者の高齢化等が問題になりつつある。音楽レッスン基本メソッドとして、有効とされる。基本的メソッドの成果として小学生プロも現れている。
 
====教育現場でのハーモニカ====
ハーモニカはかつて([[1970年代]]頃まで)日本の小中学校で[[教育楽器]]([[学校教育]]用楽器)としても用いられた。15穴の単音ハーモニカが小学校、中学校には上下式のシングル・クロマティック・ハーモニカが導入された。しかし後者には統一された方式が存在せず、教師もハーモニカの教育を受けたわけではないため指導が困難であった。現在、教育楽器としては、[[鍵盤ハーモニカ]](ヤマハの「ピアニカ」、鈴木楽器製作所の「[[メロディオン]]」など)に取って代わられている。
 
 
===国内や先進国各国の現状===
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これらの海外でしか販売されていない商品は、日本国内で価格維持のために、ライセンス契約上、国内代理店が輸入することはなく、海外の正規代理店からの逆輸入も契約上できなくなっている。そのため、日本人が眼にする機会はめったにないが、開発途上国での市場開拓の役目を担っている商品であるため、各社力を入れ始めている。
 
===教育現場でのハーモニカ===
ハーモニカはかつて([[1970年代]]頃まで)日本の小中学校で[[教育楽器]]([[学校教育]]用楽器)としても用いられた。15穴の単音ハーモニカが小学校、中学校には上下式のシングル・クロマティック・ハーモニカが導入された。しかし後者には統一された方式が存在せず、教師もハーモニカの教育を受けたわけではないため指導が困難であった。現在、教育楽器としては、[[鍵盤ハーモニカ]](ヤマハの「ピアニカ」、鈴木楽器製作所の「[[メロディオン]]」など)に取って代わられている。
 
 
 
== 著名なハーモニカ奏者 ==