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{{存命人物の出典明記|date=2009年5月}}
{{Infobox 人物
|氏名 = 鳥嶋 和彦
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|体重 =
|テレビ番組 =
|肩書き = [[週刊少年ジャンプ]]第6代編集長<br/>[[Vジャンプ]]初代編集長
|任期 = [[1996年]]2月 - [[2001年]]6月
|前任者 = [[堀江信彦]]
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}}
'''鳥嶋 和彦'''(とりしま かずひこ、[[1952年]][[10月19日]] - )は、[[編集者]]。[[白泉社]][[代表取締役]][[社長]]。[[新潟県]][[小千谷市]]出身。
 
『[[週刊少年ジャンプ]]』([[集英社]])の編集に長らく携わっており、特に[[鳥山明]]を発掘したことで知られる。
 
== 経歴 ==
実家は[[小千谷駅]]前で洋品店を営んでいた。[[新潟県立小千谷高等学校]]を卒業後、一浪し[[慶應義塾大学]]に入学。[[1976年]](昭和51年)、集英社に入社。『[[週刊少年ジャンプ]]』編集部に配属され、以後一貫してジャンプ関連の雑誌・書籍の編集を担当。漫画以外にも、企画ページの『[[ジャンプ放送局]]』、『[[ファミコン神拳]]』などの編集や、連載漫画の[[メディアミックス]]化を手がけたり、[[さくまあきら]]や[[堀井雄二]]などの外部の人間を起用しゲームの世界に導いたり、『[[ドラゴンクエストシリーズ|ドラゴンクエスト]]』(以下『ドラクエ』)誕生にも一役かっている。その流れから、[[1993年]](平成5年)には創刊編集長として、後輩の[[高橋俊昌]]とともにゲーム雑誌『[[Vジャンプ]]』を立ち上げた。
 
[[1996年]](平成8年)2月に『週刊少年ジャンプ』の売上低迷を打破する切り札として、ジャンプ本誌に呼び戻され編集長に就任。『[[遊☆戯☆王]]』など連載作品のメディアミックスを精力的に推し進めた。前体制から続く発行部数下落傾向の結果、[[1997年]](平成9年)には『[[週刊少年マガジン]]』に発行部数首位の座を奪われたものの、この頃から『[[ONE PIECE]]』や『[[NARUTO -ナルト-]]』などの新人作家のヒット作が再び出てくるようになった。<!--マガジンから公式に首位の座を奪回したのは高橋編集長にかわってから-->以後[[2001年]](平成13年)6月まで『週刊少年ジャンプ』の編集長兼発行人となった<ref group="注">これまでジャンプの発行人は前編集長が担当することが慣例だったが、前編集長の[[堀江信彦]]が他部署に異動(その後退社)となりジャンプ業務からは離れたことに因る。</ref>。
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その後、『週刊少年ジャンプ』『[[月刊少年ジャンプ]]』『Vジャンプ』を統括する第3編集部部長に昇格する。週刊ジャンプ発行人は引き続き鳥嶋名義で対応していた。[[2003年]](平成15年)1月、鳥嶋の後任であった高橋が急逝した際は、追悼号となった2003年11号限りの編集長兼発行人として、高橋の追悼メッセージを掲載した。翌週号からは副編集長であった[[茨木政彦]]の編集長への昇格人事を行った。以降は週刊ジャンプ発行人としての任務は2008年に茨木から後任の[[佐々木尚]]にバトンタッチするまで続いた。
 
その一方で、週刊ジャンプ時代の優れたメディアミックス展開に対する評価から、[[版権#版権ビジネス|ライツ]]事業部部長に抜擢され兼任、[[2004年]](平成16年)8月には集英社[[取締役会|常勤取締役]]となる。なお、引き続き第3編集部部長職であり、[[2006年]](平成18年)7月まで兼任していた。[[2008年]](平成20年)6月設立の[[小学館集英社プロダクション]]取締役を兼任<ref>{{Cite web|date=2008-06-17|url=http://www.shopro.co.jp/news/080617/1.html|title=株式会社小学館集英社プロダクション発足|publisher=株式会社小学館、株式会社集英社、株式会社小学館プロダクション|accessdate=2011-07-31}}</ref>。[[2009年]](平成21年)8月には集英社常務取締役、[[2010年]](平成22年)8月には集英社専務取締役に昇任<ref>{{Cite web|url=http://www.shinbunka.co.jp/kessan/kessan-shueisha.htm|title=集英社(決算=5月期)|publisher=新文化|accessdate=2011-07-31}}</ref>。[[2015年]](平成27年)8月に退任し、同年11月より[[白泉社]]代表取締役に就任する<ref>{{Cite web|url=https://www.bunkanews.jp/news/news.php?id=16100|title=集英社・新役員体制  鳥嶋専務が退任し、白泉社代表取締役に|accessdate=2015-08-26}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.shinbunka.co.jp/news2015/08/150827-02.htm|title=集英社、微減収増益決算|publisher=新文化|date=2015-08-27|accessdate=2015-08-28}}</ref>。
 
[[東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会|2020東京オリンピック・パラリンピックのマスコット審査会]]メンバーの一員。
 
== 人物編集者として ==
就職の際に自分の適性を自己分析した最、人より秀でているのが「人より多く本を読んでいる」ことぐらいしかなく、作家として必要な「何かを発想して、その発想を深め続けること」が出来ないと実感して編集者の道を志す{{Sfn|今野|2018a|page=1}}。第一志望は[[文藝春秋]]だったが、当時は[[オイルショック]]の翌年で採用がなく、最終的に就職試験に受かったのが生命保険会社と集英社だったという{{Sfn|今野|2018a|page=1}}。集英社では『[[月刊プレイボーイ]]日本版』に関わりたいと考えていたが、配属になったのが『週刊少年ジャンプ』編集部で(本人曰く「がっかりした」<ref>{{Cite web |url=https://dot.asahi.com/dot/2018021300102.html |title=創刊50周年「ジャンプ」伝説の元編集長が語る「鳥山明をめぐる社内政治」 |accessdate=2018-02-18 |date=2018-02-13 |publisher=AERA dot. |ref=aera-dot-20180213 }}</ref>)、それまで『ジャンプ』はおろか漫画すら一切読んだことがなく、実際に『ジャンプ』のバックナンバーを読んでも一つも面白くなく{{Sfn|今野|2018a|page=1}}、編集部内の体育会系の雰囲気を嫌ったこともあり{{Sfn|今野|2018a|page=4}}、配属されて一週間で転職を考えるようになったという{{Sfn|今野|2018a|page=1}}。「そもそも漫画が好きではない」というスタンスはその後の編集者としての立ち位置にも大きく影響しており、後に「漫画がすごいのではなくて、子どもが支持する媒体で他に読むものがないから消去法で漫画を読んでいるだけ」「言いたいことを言った結果、漫画編集を外してもらえればラッキーくらいに思っていた」「資本主義なので数字さえ出せばいい。最前線で結果を出す人間が最も尊い」と語っている{{Sfn|今野|2018b|page=6}}。一方で、資料室にあった他の漫画を片っ端から読み、特に読みやすかったという[[ちばてつや]]の『[[おれは鉄兵]]』を徹底的に分析し、コマ割りの手法を新人漫画家の指導に応用した{{Sfn|今野|2018b|page=3}}<ref name="game">{{Cite web |date=2016-04-04 |url=http://news.denfaminicogamer.jp/projectbook/torishima |title=伝説の漫画編集者マシリトはゲーム業界でも偉人だった! 鳥嶋和彦が語る「DQ」「FF」「クロノ・トリガー」誕生秘話 |work=電ファミニコゲーマー |accessdate=2018-07-16}}</ref>。
『週刊少年ジャンプ』編集者として発掘した漫画家としては[[鳥山明]]、[[桂正和]]の2人が有名。鳥嶋が『Vジャンプ』を立ち上げた際に連載を行うなど以降も繋がりが深い。鳥山については『[[Dr.スランプ]]』と『[[ドラゴンボール]]』(連載開始 - [[ピッコロ (ドラゴンボール)|ピッコロ大魔王]]編)までの編集を、桂については『[[ウイングマン]]』の編集や『[[電影少女]]』の発案に関わっていた<ref>桂正和 「桂正和インタビュー」『4C R-side』 集英社、1998年8月9日発行、ISBN 4-08-782762-3、69 - 77頁</ref>。
 
最初に担当したのは[[平松伸二]]の『[[ドーベルマン刑事]]』(原作・[[武論尊]])で、平松とはまともにコミュニケーションを取るのに3ヶ月を要したという{{Sfn|今野|2018a|page=2-3}}。3ヶ月後に打ち切りの予定だった『ドーベルマン刑事』だが、新女性キャラクターのイメージを平松にアドバイスした結果、読者アンケートで3位に浮上し、後に読者アンケート1位を獲得することになって、漫画編集者の仕事のおもしろさを感じるようになり、これが働くモチベーションにつながったという{{Sfn|今野|2018a|page=3-4}}。
若い頃から読書好きであったが、集英社に入社するまで漫画はロクに読んだことは無かったという。『週刊少年ジャンプ』編集部に配属された時には「がっかりした」と語っている。本当は『[[月刊プレイボーイ]]』の編集をやりたかったという<ref>{{Cite web |url=https://dot.asahi.com/dot/2018021300102.html |title=創刊50周年「ジャンプ」伝説の元編集長が語る「鳥山明をめぐる社内政治」 |accessdate=2018-02-18 |date=2018-02-13 |publisher=AERA dot. |ref=aera-dot-20180213 }}</ref>。この頃色々な漫画を片っ端から読み、特に読みやすかったという[[ちばてつや]]の『[[おれは鉄兵]]』を徹底的に分析し、コマ割りの手法を新人漫画家の指導に応用した<ref name="game">{{Cite web |date=2016-04-04 |url=http://news.denfaminicogamer.jp/projectbook/torishima |title=伝説の漫画編集者マシリトはゲーム業界でも偉人だった! 鳥嶋和彦が語る「DQ」「FF」「クロノ・トリガー」誕生秘話 |work=電ファミニコゲーマー |accessdate=2018-07-16}}</ref>。
 
鳥山が新人賞に応募した原稿を最初に見たときは「原稿がきれいだな」と思ったという。内容が『[[スター・ウォーズ]]』のパロディだったために規定により選外となるものの、すぐに鳥山に電報を打って「才能があるから僕と一緒にやろう。すぐに絵コンテを作って送ってほしい」と持ちかけ、その絵コンテを『[[鳥山明○作劇場#VOL.1|ワンダー・アイランド]]』として読み切り掲載にこぎ着けるも、読者アンケートでは最下位となる{{Sfn|今野|2018b|page=1}}。しかし、そこからどうすれば面白い漫画を作れるのかを鳥山と試行錯誤し、1年半後に『[[Dr.スランプ]]』として連載にこぎ着ける。元々第1話にしか登場しなかったはずの[[則巻アラレ]]を主人公に据えることになったのも鳥嶋のアイディアであるが、これは、気乗りしなかった鳥山に「女の子を主人公にした漫画(『[[鳥山明○作劇場#VOL.1|ギャル刑事トマト]]』)を描いて、読者アンケートが3位以内だったらそのまま、4位以下だったらアラレを1話だけで消していい」と賭けを持ちかけ、読者アンケートで3位だったためにアラレが主人公になったという{{Sfn|今野|2018b|page=2}}。『ドラゴンボール』では、初期に読者アンケートの順位が下がり始めた際、[[孫悟空 (ドラゴンボール)|孫悟空]]の「強くなりたい」というキャラクターを際立たせるために、敢えて登場人物を悟空・[[クリリン]]と[[亀仙人]]だけにしてその他のキャラクターを排することでテーマを明快にし、人気を回復させた{{Sfn|今野|2018b|page=4}}。
意に沿わない内容であれば原稿を容赦なく'''没'''('''不採用・描き直し''')にする鬼の編集者としても有名で、口癖の「'''ボツ!'''」は『Dr.スランプ』を始めとして多くの作品に登場し、鳥嶋本人の代名詞となっている<ref group="注">『Dr.スランプ』第8巻のおまけ漫画「ヤシの木はうごいた」では、漫画家の意に沿わない行動に対し「ボツにするぞ」と脅す場面もあった。</ref>。
 
[[桂正和]]については『[[ウイングマン]]』の編集や『[[電影少女]]』の発案に関わっていた<ref>桂正和 「桂正和インタビュー」『4C R-side』 集英社、1998年8月9日発行、ISBN 4-08-782762-3、69 - 77頁</ref>。
自身は作家のエリアには入らないスタンスを取り、ストーリー作りに参加する編集は二流と評しており、いかに何度も作家にダメ出しをして「自分は他人より何が優れているか」を悟らせることがビッグヒットを生む最大のコツであると語っている<ref name="game"/>。また、ストーリー作りに時間をかけるのは無駄であり、身近に感じられる魅力的なキャラクターを作ることが大事であると考えている<ref name="game"/>。
 
『ジャンプ放送局』を立ち上げたのは、『ジャンプ』の読者ページを鳥嶋が担当することになり、鳥嶋本人はいやがったものの当時の副編集長が懇願するため、当時『[[週刊プレイボーイ]]』に鳥山のインタビューを掲載したいと持ちかけたさくまに担当させることを担当の条件としたためであるという{{Sfn|今野|2018b|page=5}}。
時代の趨勢を先読みする事に長けており、泥臭い作品が読者や購買層に飽きられてきているの感じていたのか、ジャンプの三原則であった努力・友情・勝利に関しては否定的{{refnest|group="注"|鳥嶋は正確には「友情」と「勝利」は正しいが、子供は努力が大嫌いであり、『ドラゴンボール』でも「努力」は描かせなかった<ref name="game"/>。}}で、特に暑苦しい熱血ものや根性物を嫌う一方で[[ラブコメディ]]好きで、『[[ドーベルマン刑事]]』(連載後期の担当)での加納と三森、『Dr.スランプ』でのアラレとオボッチャマン(をはじめとした各種カップル)などにおいても登場キャラクター同士を恋愛関係に発展させることにこだわった。『ドーベルマン刑事』の作画担当の[[平松伸二]]も、本作品にラブコメ要素のテコ入れをすると言った時に最初は不安を覚えたが、原作担当の[[武論尊]]から送られてきた原稿を読んでみると、作品にマッチしていて前よりとても面白くなっていたのでビックリしたと回顧している。一方、元々恋愛沙汰を苦手としていた鳥山はこの姿勢に反抗し、『Dr.スランプ』の千兵衛とみどりの結婚に至る過程および次作『[[ドラゴンボール]]』での[[孫悟空 (ドラゴンボール)|孫悟空]]とチチの結婚に至る過程をあっさりさせたとのこと<ref group="注">鳥山によるその流れは鳥嶋が担当から外れた後も続き、[[ブルマ (ドラゴンボール)|ブルマ]]と[[ベジータ]]、[[クリリン]]と[[人造人間18号]]に至るまで徹底されている。</ref>。
 
意に沿わない内容であれば原稿を容赦なく'''没'''('''不採用・描き直し''')にする鬼の編集者としても有名で、口癖の「'''ボツ!'''」は『Dr.スランプ』を始めとして多くの作品に登場し、鳥嶋本人の代名詞となっている<ref group="注">『Dr.スランプ』第8巻のおまけ漫画「ヤシの木はうごいた」では、漫画家の意に沿わない行動に対し「ボツにするぞ」と脅す場面もあった。</ref>。自身は作家のエリアには入らないスタンスを取り{{Sfn|今野|2018b|page=4}}、ストーリー作りに参加する編集は二流と評しており、いかに何度も作家にダメ出しをして「自分は他人より何が優れているか」を悟らせることがビッグヒットを生む最大のコツであると語っている<ref name="game"/>。また、ストーリー作りに時間をかけるのは無駄であり、身近に感じられる魅力的なキャラクターを作ることが大事であると考えている<ref name="game"/>。また、漫画家に対して編集者は、作家に面白い漫画を描く力を付けさせ、読者に届けられる作品に磨かないといけないとも語っており、故に編集者が漫画家に好かれる必要は無いとも述べている{{Sfn|今野|2018b|page=4}}
 
時代の趨勢を先読みする事に長けており、泥臭い作品が読者や購買層に飽きられてきているの感じていたのか、ジャンプの三原則であった努力・友情・勝利に関しては否定的{{refnest|group="注"|鳥嶋は正確には「友情」と「勝利」は正しいが、子供は努力が大嫌いであり、『ドラゴンボール』でも「努力」は描かせなかった<ref name="game"/>。}}で、特に暑苦しい熱血ものや根性物を嫌う一方で[[ラブコメディ]]好きで、『[[ドーベルマン刑事]](連載後期の担当)での加納と三森、『Dr.スランプ』でのアラレとオボッチャマン(をはじめとした各種カップル)などにおいても登場キャラクター同士を恋愛関係に発展させることにこだわった。『ドーベルマン刑事』の作画担当の[[平松伸二]]も、本作品にラブコメ要素のテコ入れをすると言った時に最初は不安を覚えたが、原作担当の[[武論尊]]から送られてきた原稿を読んでみると、作品にマッチしていて前よりとても面白くなっていたのでビックリしたと回顧している。一方、元々恋愛沙汰を苦手としていた鳥山はこの姿勢に反抗し、『Dr.スランプ』の千兵衛とみどりの結婚に至る過程および次作『[[ドラゴンボール]]』での[[孫悟空 (ドラゴンボール)|孫悟空]]とチチの結婚に至る過程をあっさりさせたとのこと<ref group="注">鳥山によるその流れは鳥嶋が担当から外れた後も続き、[[ブルマ (ドラゴンボール)|ブルマ]]と[[ベジータ]]、[[クリリン]]と[[人造人間18号]]に至るまで徹底されている。</ref>。
 
2015年4月15日に放送された[[CS放送]][[フジテレビワンツーネクスト|フジテレビONE]]の番組『[[漫道コバヤシ]]』#15「[[漫道コバヤシ|伝説の編集者 鳥嶋和彦さんと少年ジャンプの歴史を振り返るSP]]」において、編集者として関わった作品や作家と共に歩んできた制作秘話などを熱く語った。同月24日にフジテレビ系列で放送された「地上波特別編」でも、この放送で使われた一部と、『ドラゴンボール』や鳥山明の秘話などを熱く語ったものが放送された(一部地域を除く)<ref>[http://blog.fujitv.co.jp/man-koba/E20150306001.html フジテレビONE『[[漫道コバヤシ]]』アーカイブ]</ref>。その中で鳥山の『ドラゴンボール』が生まれる切っ掛けとして鳥山が[[ジャッキー・チェン]]の『[[ドランクモンキー 酔拳|酔拳]]』のビデオを流しながら仕事していたので鳥嶋が「カンフーの漫画を書いたらどうか」とアドバイスしたという。
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=== 出典 ===
{{Reflist}}
 
== 参考資料 ==
* {{Cite web|url=http://www.itmedia.co.jp/business/articles/1810/26/news017.html|author=今野大一|title=ドラゴンボールの生みの親 『ジャンプ』伝説の編集長が語る「嫌いな仕事で結果を出す方法」 |publisher=[[ITmedia]]|date=2018-10-26|accessdate=2018-10-29|refs={{SfnRef|今野|2018a}} }}
* {{Cite web|url=http://www.itmedia.co.jp/business/articles/1810/29/news002.html|author=今野大一|title=『ジャンプ』伝説の編集長は『ドラゴンボール』をいかにして生み出したのか |publisher=[[ITmedia]]|date=2018-10-29|accessdate=2018-10-29|refs={{SfnRef|今野|2018b}} }}
 
{{集英社}}