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== 自動車メーカーとしての成り立ち ==
[[画像:Lamborghini traktor.jpg|thumb|220px210px|right|ランボルギーニのトラクター]]
[[画像:Ferruccio_lamborghini.jpg|thumb|220px210px|left|[[フェルッチオ・ランボルギーニ]](1970年)]]
 
創業者である[[フェルッチオ・ランボルギーニ]]は、[[第二次世界大戦]]後、イタリアに[[貨物自動車|トラック]]が不足していることに目を付け<ref>{{Cite book |和書 |author=トニーノ・ランボルギーニ |translator=大矢アキオ |year=2004 |title=ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ |pages=46-47 |chapter= 「農民のトラクター」がない |publisher=[[光人社]] |location= |isbn= |quote= }}</ref>、軍が放出するトラックを[[民生用|民生向け]]に改造し販売することで富を得た。大戦中、[[ロドス島]]にて[[兵器]]の[[メンテナンス]]に当たっていた彼の経験が活かされるかたちとなった。[[1947年]]、当時から[[カーマニア|自動車好き]]であった彼は、これを元手に小さな[[チューニングカー|チューニング]]ショップを開いた。
この1963年トリノショーに出品された350GTVは非常に目を引く独創性にあふれた[[フランコ・スカリオーネ]]のデザインによるボディラインを持ち、性能面や上質なインテリア等で一定の評価を得たが、居住性やGTとしての使い勝手で酷評を受ける。
この評を受けてすぐにフェルッチオは根本的な改修を指示、翌年[[カロッツェリア・トゥーリング]]により手直しを受けたボディを纏った市販車としての第一号[[ランボルギーニ・350GT|350GT]]をロールアウト。ここに市販車メーカーとしてのアウトモービリ・ランボルギーニの歴史は幕を上げた。
[[File:Lamborghini 350 GT.jpg|thumb|Lamborghini 350 GT[[ランボルギーニ・350GT]]]]
当初こそ、伝統のある[[マセラティ]]やフェラーリを引き合いに出されてはトラクターメーカーとしての出自を揶揄されたが、翌年に後継の[[ランボルギーニ・400GT|400GT]]がロールアウトされる頃になると独創的なスタイルと快適性の高次での両立がエグゼクティブの間で話題となり、350GTは130台以上、400GTでは250台以上、当時の超高級GTとしては非常に良好なセールスを記録している。この後1966年の[[ランボルギーニ・ミウラ]]、1971年の[[ランボルギーニ・カウンタック]](クンタッシ)とあまりにも有名な名車を次々と送り出し、押しも押されもせぬ世界的スーパースポーツの代名詞ともいえるブランドとなった。
 
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