「三田紀房」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
18行目:
| 公式サイト =
}}
'''三田 紀房'''(みた のりふさ、[[1958年]][[1月4日]]<ref name="mita"/> - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[岩手県]][[北上市]]出身。[[血液型]][[ABO式血液型|B血液型]]B型
 
== 人物 ==
24行目:
 
; 大学卒業後
: 大学4年の盆過ぎに初めて就職相談を行った結果、流通業界しか採用活動をしていなかったことから、大学卒業後はそのまま[[西武百貨店]]へ就職した。しかし1年後、2つの衣料品店を経営していた実父が、店の業績が芳しくない中で体調を崩してしまったことから、退職して岩手の実家に戻り兄とともに家業を手伝う。経営不振に悩む中、家業を継いでから2年後に父は病死、その後多額の借金の存在も明らかになり資金繰りに苦しむことになる。
: 店の経営に悩む中マンガ、漫画雑誌の新人募集の広告が目に留まり、賞金を得ようと漫画の製作・新人賞応募を即決。親交があった村上もとかに作品を評価してもらいながら独学で投稿作を完成させ、3社に応募した。30歳の時、講談社の第17回[[ちばてつや賞]]一般部門に入選する。「紙になんか書いて50万とはワリがよい」と6年続けた支店をすぐに閉店、再び上京し漫画家としては遅いスタートを切った。[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]としての経験がないばかりか、学生時代に創作活動をしていたわけでもない。
 
; デビュー後
: スポーツ漫画、特に野球漫画で徐々に頭角を現していたが、仕事は細々であったため生活はギリギリの状態であった。そんな中『[[漫画ゴラク]]』の編集者の「アンケートで1位をとろう」という激励が転機となり、自らアンケート結果などを研究し「売れるマンガ漫画」のパターンを研究するようになる。
: その後[[2003年]]より『[[モーニング (漫画雑誌)|モーニング]]』で連載開始され「東大受験」をモチーフにした異色作『[[ドラゴン桜]]』が大ブレイクのきっかけとなり、[[2005年]]第29回[[講談社漫画賞]]、平成17年度[[文化庁メディア芸術祭]]マンガ部門優秀賞受賞した。同作品はさらに、連続テレビドラマ化されるに至った。また、[[2007年]]から[[2010年]]まで『モーニング』にて『ドラゴン桜』の続編となる『[[エンゼルバンク-ドラゴン桜外伝-]]』を連載していた。同作品もテレビドラマ化された。
: これ以外にも、2005年から2009年まで『[[ビッグコミックスペリオール]]』にて起業を題材とした『[[マネーの拳]]』を、2006年より2009年まで『スーパージャンプ』にて就職活動指南漫画である『銀のアンカー』を連載していた。
: [[2010年]]からは『[[週刊ヤングマガジン]]』で野球漫画『[[砂の栄冠]]』を連載開始、2015年に連載終了。
: [[2015年]]からは『週刊ヤングマガジン』で戦争漫画『[[アルキメデスの大戦]]』を連載開始。
74 ⟶ 75行目:
* 現代社会を反映した内容と明確な方法論、自己啓発性などを高く評価する声が多く、代表作『ドラゴン桜』はテレビドラマ化され社会現象にもなった。
* 『ドラゴン桜』のドラマ化以後、ビジネス・教育・自己啓発系の漫画を書いているが、本来の得意分野は[[野球漫画]](「この漫画がすごい!」インタビューでの作者談)であり、最初のヒット作も高校野球の監督を描いた『クロカン』で、作者も「またいずれ野球漫画を書くだろうし、ドラマ化以前からのファンがそれを望んでいることも承知している」と語った。
* 本人は明治大学卒であるが、[[灘中学校・高等学校]]を経て東大卒の編集担当者の「東大など簡単に入れますよ」との言葉が『ドラゴン桜』のきっかけとなった。『ドラゴン桜』の前半は、東大卒の編集担当者の体験がストーリーの材料となっている。
 
== 脚注 ==
91 ⟶ 92行目:
[[Category:三田紀房|!]]
[[Category:日本の漫画家]]
[[Category:岩手県出身の人物]]
[[Category:明治大学出身の人物]]
[[Category:西武百貨店の人物]]
[[Category:明治大学出身の人物]]
[[Category:岩手県出身の人物]]
[[Category:1958年生]]
[[Category:存命人物]]