「ローマ帝国」の版間の差分

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カエサル,コロッセオ,ポン・デュ・ガール,ローマン・バス,コンスタンティヌスの凱旋門の写真
→‎帝政の開始: 画像:ポンペイのローマ様式のペリスタイル
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=== 帝政の開始 ===
 
[[ファイル:Colosseum_in_Rome,_Italy_-_April_2007.jpg|thumb|left|200px170px|[[コロッセオ]]。]]
[[ファイル:Pont_du_Gard_FRA_001.jpg|thumb|left|200px170px|[[ポン・デュ・ガール]]。ローマの[[水道橋]]。]]
 
[[File:Baños Romanos, Bath, Inglaterra, 2014-08-12, DD 39-41 HDR.JPG|thumb|left|200px170px|upright|現代の建築物をすべて取り除いた[[ローマン・バス]] ]]
[[ファイル:Pont_du_Gard_FRA_001.jpg|thumb|left|200px|[[ポン・デュ・ガール]]。ローマの[[水道橋]]。]]
[[ファイル:Ricostruzione del giardino della casa dei vetii di pompei (mostra al giardino di boboli, 2007) 01.JPG|thumb|left|170px|ポンペイのローマ様式の[[ペリスタイル]]と中庭を復元したもの]]
 
[[ファイル:Julius Caesar Coustou Louvre MR1798.jpg|thumb|200px170px|left|[[ガイウス・ユリウス・カエサル]]。]]
[[File:Baños Romanos, Bath, Inglaterra, 2014-08-12, DD 39-41 HDR.JPG|thumb|left|200px|upright|現代の建築物をすべて取り除いた[[ローマン・バス]] ]]
 
[[ファイル:Julius Caesar Coustou Louvre MR1798.jpg|thumb|200px|left|[[ガイウス・ユリウス・カエサル]]。]]
 
ローマ帝国の起源は、[[紀元前8世紀]]中ごろに[[イタリア半島]]を南下した[[ラテン人]]の一派がティベリス川(現:[[テヴェレ川]])のほとりに形成した[[都市国家]]ローマである([[王政ローマ]])。当初は[[エトルリア人]]などの王を擁いていたローマは、[[紀元前509年]]に7代目の王であった[[タルクィニウス・スペルブス]]を追放して、貴族([[パトリキ]])による[[共和政]]を布いた。共和政下では2名の[[執政官|コンスル]]を国家の指導者としながらも、[[クァエストル]](財務官)など公職経験者から成る[[元老院 (ローマ)|元老院]]が圧倒的な権威を有しており、国家運営に大きな影響を与えた([[共和政ローマ]])。やがて平民([[プレブス]])の力が増大し、[[紀元前4世紀]]から[[紀元前3世紀]]にかけて身分闘争が起きたが、[[十二表法]]や[[リキニウス・セクスティウス法]]の制定により対立は緩和されていき、[[紀元前287年]]の[[ホルテンシウス法]]制定によって身分闘争には終止符が打たれた。
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これらに加え、皇帝たちは必要な場合年次職の[[執政官]]や[[ケンソル]](監察官)などの共和政上の公職に就任することもあった。さらに、皇帝たちには「国家の父」などの尊称がよく送られた。また皇帝は死後、次の皇帝の請願を受けた元老院の承認によって、神格化されることも少なくなかった。例えばアウグストゥスはガリア属州に祭壇が設けられ、2世紀末まで公的に神として祀られ続けた。一方、独裁的権限を所持していたにもかかわらず、ローマ皇帝はあくまでも「元老院、ローマ市民の代表者」という立場であったため、ローマ市民という有力者の支持を失うと元老院に「国家の敵」とみなされ自殺に追い込まれたり、コロッセウムなどで姿をみせると容赦ないブーイングを浴びるなど、官僚制と多数の文武官による専制体制が確立した[[オリエント]]的君主とは違った存在であった。
また、国家の要職だけでなく最高権力者である皇帝位でさえも、ローマに征服された地域や民族の者が就くことが可能であった。例えば、[[セウェルス朝]]創始者の[[セプティミウス・セウェルス]]帝は[[アフリカ属州]]出身であったし、[[五賢帝]]の一人である[[トラヤヌス]]帝は[[ヒスパニア・バエティカ|ヒスパニア属州]]出身であった<ref>アルベルト・アンジェラ著 ローマ帝国1万5千キロの旅 p.493 ISBN 978-4-309-22589-0</ref>。
 
 
=== ユリウス・クラウディウス朝と内乱期 ===