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F-5A/Bは、他社との新[[戦闘機]]競争で大きく水をあけられていた[[ノースロップ]]社が、[[第二次世界大戦]]中に建造され、まだ当時多数残っていた[[アメリカ海軍]]の[[軽空母]]用[[艦載機]]として計画されたのが萌芽であった。しかし、海軍は、それら軽空母を退役させることにしたため、ノースロップは海外輸出市場に活路を見出す事になった。同時に[[アメリカ空軍|空軍]]の[[練習機]][[T-33 (航空機)|T-33]]の後継にも目をつけ、戦闘機型をN-156F、練習機型をN-156Tとして並行して開発を進めた。このN-156Tは空軍に[[T-38 (航空機)|T-38]]として採用され、N-156Fも自社資金で開発を継続した。
 
[[1950年代]]末より[[東側諸国]]やその友好国へ[[MiG-17 (航空機)|MiG-17]]や[[MiG-19 (航空機)|MiG-19]]の供与を進めていた[[ソビエト連邦]]に対抗するべく、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]はこれらのソ連製戦闘機を上回る性能を持ち、かつ廉価で運用・整備が容易な戦闘機を[[西側諸国]]と友好関係にある[[開発途上国|発展途上国]]向けに供与する計画を進めていた。しかし、既に[[F-86 (戦闘機)|F-86]]は旧式化しており、より新しい機体は複雑さ・性能・価格・軍事機密などの面で途上国に輸出できるものではなかった<ref>F-86の後継にあたる[[センチュリーシリーズ]]の嚆矢として知られる[[F-100 (戦闘機)|F-100]]は性能面ではMiG-19に比肩したが、[[戦闘爆撃機]]としての性格が強く、かったため途上国向けとしては攻撃力が過大であり、かつ[[チタン|チタニウム]]を多用したため性能の割に高価な機体であった。[[F-101 (戦闘機)|F-101]]は長距離侵攻戦闘機として開発された大型戦闘機、[[F-102 (戦闘機)|F-102]]およびその改良型の[[F-106_(戦闘機)|F-106]]は当時の高度な電子機器を搭載する[[要撃機]]、[[F-104 (戦闘機)|F-104]]はマッハ2級の快速と先進的な武装を誇った高性能機、[[F-105_(戦闘機)|F-105]]は戦闘と爆撃を高いレベルで両立する万能機であり、どれも途上国向けとしては過剰性能・高価格・取扱困難であった。以上の理由から、これらの機体は[[北大西洋条約機構|NATO]]加盟国を筆頭とする[[先進国]]・[[中進国]]以上の有力な同盟国への供与、あるいは性能的に陳腐化した後の中古機の輸出に限られていた。最新鋭の[[F-105 (戦闘機)|F-105]]や[[F-106 (戦闘機)|F-106]]は、機密度も高く同盟国にすら輸出されなかった。ちなみに同時代のソ連も、高度な電子機器を持つ高性能機である[[Su-9 (航空機)|Su-9]]は自国のみで運用し、同盟国には供与しなかった</ref>。これに対し、航法・測距用の[[レーダー]]や見越し計算式[[照準器]]さえも搭載せず、小型[[エンジン]]を使用したN-156Fは、廉価かつ運用・整備が容易だったため途上国向けの海外供与戦闘機に選ばれることとなる。こうしてN-156Fは'''F-5A'''と命名されると共に、[[機関砲]]を装備しない複座練習機型'''F-5B'''も開発され、[[1964年]]から配備が開始された。
 
[[ファイル:Northrop F-5B (SN 63-8445) 060905-F-1234S-006.jpg|thumb|250px|left|F-5B]]
供与された国は、[[南ベトナム]]、[[タイ王国|タイ]]、[[イラン]]、[[エチオピア]]、[[サウジアラビア]]、[[ヨルダン]]、[[大韓民国]]、[[リビア王国|リビア(王政時代)]]、[[モロッコ]]などである。また、高価なF-104を保有していた[[中華民国]]、[[ノルウェー]]、[[ギリシャ]]、[[トルコ]]にも、二線級の補助戦闘機として供与された。この他に[[パキスタン]]も[[第三次印パ戦争]]中に、[[リビア]]のF-5Aを[[パイロット (航空)|パイロット]]と共に「提供」され、数機使用していたとされる(サウジアラビアがF-5E飛行隊を同国に派遣していたともいわれる)<ref>パキスタンにおいてもF-5Aが新型戦闘機の候補として挙げられたが、[[フランス]]製の[[ミラージュIII (戦闘機)|ミラージュIII]]に敗北している。しかし、ミラージュIIIは廉価な戦闘機とは言えず、当時は追加購入が困難であったこと(後に中古機を[[オーストラリア]]や[[レバノン]]から購入)から、より安価低コストでシンプルな[[ミラージュ5 (航空機)|ミラージュ5]]や[[J-6 (航空機)|J-6]]が導入される事となった</ref>。
 
[[ベトナム戦争]]では、[[ベトナム共和国空軍|南ベトナム空軍]]が主に[[ベトナム人民軍|北ベトナム軍]]への対地攻撃に使用したほか、北ベトナム軍が[[鹵獲]]した南ベトナム空軍のF-5Aで[[サイゴン]]の[[統一会堂|南ベトナム大統領府]]を[[空襲|爆撃]]した。南北統一後の[[ベトナム]]では、南ベトナム空軍から接収したF-5A(ベトナム空軍の展示ではF-5E)が対地攻撃任務機として[[カンボジア侵攻]]に用いられていた。
 
[[ライセンス生産]]権を取得した[[カナダ]]では、自己資金によって[[自動空戦フラップ|空戦フラップ]]や2段伸縮式前脚の追加といった改良が行われ、カナダ向けを'''CF-5'''、[[オランダ]]向けを'''NF-5'''と呼称して製造した。この独自改良を加えて2か国で使用されたこの[[ライセンス生産]]型は、ベトナム戦争での使用経験ととも、近代化改修版であるF-5E/F開発の大きなヒントとなった。他にライセンス生産を行った国には[[スペイン]]がある。
 
[[ファイル:F-5Cs KC-135A 020906-f-9999r-003.jpg|thumb|250px|スコシ・タイガー作戦によってベトナム戦争に投入されたF-5C]]
上記の通り、F-5A/Bは純粋に供与機として用いられ、外国空軍への技術指導と訓練以外にアメリカ空軍での使用予定はなかった。しかし、供与された国からの実績要求などから、評価試験用のF-5A飛行隊が臨時編成され、ベトナム戦争において対地攻撃に投入された。このF-5Aは[[空中給油]][[プローブ]]や[[装甲]]の追加など、従来のF-5Aとは異なる「特別仕様」のため、'''F-5C'''という非公式の形式番号で呼ばれることもある。F-5Cが参加する作戦は「'''スコシ・タイガー作戦'''」と命名され、F-5の作戦能力と双発エンジンによる被弾時の生存性が高く評価されることとなった。機体は試験終了後、南ベトナム空軍に引き渡されている。なお、「スコシ」とは[[日本語]]の「少し」であり、元来は「リトル・タイガー」とすべきところを、外国語風の語感にするため「スコシ・タイガー」とした<ref>英語のlittleには「少し」という意味と「小さい、可愛い」という2つの意味があり、そこからの誤訳である。本来の意図としては「少し虎」ではなく「小さな虎」であった。また、「少し」の[[ローマ字|ローマ字表記(ヘボン式)]]は本来"Sukoshi"となる筈だが、"u"が抜けて"Skoshi tiger"となっている。Sukoshiのu音は、とくに標準日本語においては[[母音#日本語の母音|無声化]]されやすいため、日本語の母語話者以外には聴き取れない場合多い</ref>。
 
F-5A/Bは、経済性や発展途上国においてける初のジェット戦闘機としての利便性や経済性に加え、高価な戦闘機に勝るとも劣らない抜群の[[マニューバ|機動]]性で国を問わず広く使用された戦闘機である。ベトナム戦争以外で目立った戦績はものの、[[西サハラ]]紛争で[[モロッコ]]([[:en:Royal Moroccan Air Force|モロッコ王立空軍]])が、[[オガデン戦争|オガデン紛争]]で(革命後の)[[エチオピア]]が実戦に使用したといわれる。その多くは対地攻撃に用いられたが、モロッコの機体は[[第四次中東戦争]]において[[イスラエル]]の[[ミラージュIII (戦闘機)|ミラージュIII]]を撃墜する戦果を挙げている。
 
F-5A/Bはその後、改良型のF-5E/Fもしくはその他の戦闘機に交替していったが、[[ギリシャ空軍]]や[[トルコ軍#空軍|トルコ空軍]]はアメリカを介して各地で退役したF-5A/Bを大量に入手し、主力戦闘機の補助や対地攻撃、訓練用に充てた。[[スペイン空軍]]ではF-5Bを高等練習機として使用している。この他にカナダで退役したCF-5が、さらなる近代化改修後に[[ボツワナ国防軍]]で再就役しており、[[アフリカゾウ]]などの動物に対する密猟監視に用いたという。
 
=== F-5E/F ===
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