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前[[湘南ベルマーレ|平塚]]監督の[[植木繁晴]]が監督に就任した。
 
補強面では、[[ジェフユナイテッド市原・千葉|市原]]から[[鷲田雅一]]を、平塚から[[岩元洋成]]を、[[京都サンガF.C.|京都]]から[[吉田達磨]]を、[[セレッソ大阪|C大阪]]から[[卜部太郎]]を、ブラジルの[[リオクラロFC]]から[[アラン・ダビー・ドッチ|アラン]]を、[[川崎フロンターレ|川崎]]から[[ムタイル・モモドゥ|ムタイル]]を、[[北海道コンサドーレ札幌|札幌]]から[[バウテル・エンリケ・デ・オリベイラ|バウテル]]を完全移籍で獲得し、[[横浜F・マリノス|横浜M]]から[[平間智和]]をレンタル移籍で獲得した。新人では、[[鶴岡東高等学校|鶴商学園高]]から[[根本亮助]]、[[前橋育英高等学校|前橋育英高]]から[[小久保純]]、[[静岡学園中学校・高等学校|静岡学園高]]から[[飯塚浩記]]が加入した。
 
リーグ戦については、第23節終了時までは中位付近を推移していたが、第24節から第29節にかけて5勝1分をマークし4位まで浮上した。しかし、残り7試合を勝利無しで終えた為、順位を落としてシーズンを終えた。リーグ戦の最終成績は15勝4分17敗の勝点48で7位だった。[[1999年のJリーグカップ#1回戦|ヤマザキナビスコカップ]]では1回戦で京都に敗れた(合計スコア1-9)。[[第79回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]ではJ1勢の[[ヴィッセル神戸|神戸]]、C大阪を続けて破った後、準々決勝で[[柏レイソル|柏]]に敗れたものの、クラブ初の天皇杯ベスト8進出を果たした。
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[[真下佐登史]]が[[関東サッカーリーグ|関東社会人リーグ]]の[[tonan前橋|図南SC]]に、[[中森大介]]が[[JFL]]の[[ジヤトコサッカー部|ジヤトコ]]に、[[岡村政幸]]が[[佐川急便東京SC]]に完全移籍し、[[丸山良明]]がレンタル元に復帰した。また、[[エドウィン・イファニー|エドウィン]]、[[ワシントン・ルイジ・ガルシア|ワシントン]]([[:en:Washington Luigi Garucia|en]])、[[ジェフェルソン]]([[:en:Jeferson Antonio Alves Dupin|en]])、[[岩元洋成]]、[[中山夢歩]]、[[白井貞義]]が退団した。
 
補強面では、[[大宮アルディージャ|大宮]]から[[佐藤悠介]]、[[浮氣哲郎]]、[[佐藤太一]]を、[[京都サンガF.C.|京都]]から[[大島秀夫]]を、[[湘南ベルマーレ|湘南]]から[[鈴木健太郎]]を、[[水戸ホーリーホック|水戸]]から[[渡辺卓 (サッカー選手)|渡辺卓]]を、[[北海道コンサドーレ札幌|札幌]]から[[大野貴史]]を、[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]から[[高橋厳一]]を完全移籍で獲得し、札幌から[[佐賀一平]]をレンタル移籍で獲得した。新人では、[[山形県立山形中央高等学校|山形中央高]]から[[吉見一星]]が加入した。
 
シーズン途中には、[[堀井岳也]]が札幌へレンタル移籍した。
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柱谷体制2年目。
 
[[浮氣哲郎]]、[[西山哲平]]が[[大分トリニータ|大分]]に、[[高橋厳一]]、[[笠原信]]が[[JFL]]の[[ジヤトコサッカー部|ジヤトコ]]に、[[吉田達磨]]がシンガポールのジュロンFC([[:en:Jurong FC|en]])に、[[佐藤太一]]がシンガポールの[[バレスティア・カルサFC|クレメンティ・カルサFC]]に、[[小田島隆幸]]が[[群馬県社会人サッカーリーグ|群馬県社会人1部]]の[[ザスパクサツ群馬|草津]]に、[[斉藤誠一]]が[[SP京都FC|佐川印刷]]に完全移籍し、[[佐藤淳志]]が退団した。また、[[北海道コンサドーレ札幌|札幌]]にレンタル移籍していた[[堀井岳也]]が完全移籍への移行に伴い退団した。
 
補強面では、[[湘南ベルマーレ|湘南]]から[[酒井良]]、[[貞富信宏]]を、[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]から[[小島徹]]を、[[ジェフユナイテッド市原・千葉|市原]]から[[井上雄幾]]を完全移籍で獲得した。更に、[[佐賀一平]]がレンタル移籍から完全移籍に移行した。新人では、[[駒澤大学|駒澤大]]から[[桜井繁]]、[[順天堂大学|順天堂大]]から[[藤田芳正]]、[[国士舘大学サッカー部|国士舘大]]から[[松田和之]]が加入し、ユース所属の[[秋葉勝]]がトップチームに昇格した。
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[[佐藤悠介]]が[[セレッソ大阪|C大阪]]に、[[鈴木健太郎]]が[[東京ヴェルディ1969|東京V]]に、[[吉見一星]]が[[SP京都FC|佐川印刷]]に、[[佐賀一平]]、[[酒井良]]、[[貞富信宏]]が[[九州サッカーリーグ|Kyuリーグ]]の[[沖縄かりゆしフットボールクラブ|沖縄かりゆしFC]]に、[[西脇良平]]、[[大野貴史]]、[[松田英樹]]が[[東海社会人サッカーリーグ|東海1部]]の[[静岡FC]]に完全移籍し、[[小島徹]]が退団した。また、[[渡辺卓 (サッカー選手)|渡辺卓]]が現役を退いてユースチームの監督に就任した。その他では、[[根本亮助]]、[[斉藤武志]]が、ブラジルの[[ジャボチカバウ・アトレチコ]]([[:pt:Jaboticabal Atlético|pt]])に留学する為、1月から6月までチームを離脱した。
 
補強面では、[[鹿島アントラーズ|鹿島]]から[[中村幸聖]]を、[[FC東京]]から[[星大輔]]、[[松田正俊]]を、C大阪から[[川崎健太郎]]、[[羽地登志晃]]、[[越智隼人]]を、[[ガンバ大阪|G大阪]]から[[阿江孝一]]を、[[北海道コンサドーレ札幌|札幌]]から[[古川毅]]を、[[大宮アルディージャ|大宮]]から[[伊東真吾]]を完全移籍で、ブラジルの[[J・マルセーリ・フチボウ|マルトロン]]から[[ニヴァウド・ローレンス・ダ・シルバ|ニヴァウド]]をレンタル移籍で獲得した。また、ブラジルのオリンピア([[:pt:Olímpia Futebol Clube|pt]])から[[アレシャンドレ・ジョゼ・ボルトラット|アレッシャンドレ]]([[:en:Alexandre Jose Bortolato|en]])をレンタル移籍で獲得したが、シーズン途中で退団している。新人では、[[帝京中学校・高等学校|帝京高]]から[[大瀧直也]]が加入した。
 
シーズン途中には、[[ジェフユナイテッド市原・千葉|市原]]から[[小林久晃]]をレンタル移籍で獲得した。
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シーズン途中には、[[柏レイソル|柏]]から[[清水健太]]を、[[大分トリニータ|大分]]から[[小森田友明]]をレンタル移籍で獲得し、[[山形大学|山形大]]の[[塩沢勝吾]]を[[特別指定選手]]として追加登録した。
 
リーグ戦については、非常に高い守備力を誇り、第36節終了時点で失点数が34点と、京都の33点に次いで2番目に少ない記録だった反面、得点力不足が影響して勝ち切れずに引き分ける試合が多かったことから、自動昇格圏内の京都と[[アビスパ福岡|福岡]]に追い付くことが出来ずに3位〜4位を推移した。その後、[[J1・J2入れ替え戦]]の出場権が得られる3位を[[北海道コンサドーレ札幌|札幌]]、[[ベガルタ仙台|仙台]]、甲府と争ったが、第37節から4連敗を喫し脱落した。リーグ戦の最終成績は16勝16分12敗の勝点64で5位だった。[[第85回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]は4回戦で[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]に敗れた。
 
シーズン終了後、鈴木が契約満了で監督を退任。新潟の監督に就任した。
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この年から[[Jサテライトリーグ|サテライトリーグ]]への参加を開始した。(2009年に廃止。2010年以降は[[みやぎチャレンジリーグ]]に参加)
 
[[大塚真司]]、[[川崎健太郎]]が[[北海道コンサドーレ札幌|札幌]]に、[[小林久晃]]が[[ヴィッセル神戸|神戸]]に、[[田中康平]]が[[ベガルタ仙台|仙台]]に、[[外池大亮]]が[[湘南]]に、[[高木和正]]が[[東海社会人リーグ|東海社会人]]1部の[[FC岐阜|岐阜]]に、[[堀内大輔]]が[[東北社会人サッカーリーグ|東北社会人]]1部の[[グルージャ盛岡|盛岡]]に完全移籍。また、[[阿江孝一]]、[[井関武志]]、[[塩沢勝吾]]が退団し、[[小森田友明]]がレンタル元に復帰した。
 
補強面では、[[ベガルタ仙台]]の看板選手として活躍した[[財前宣之]]を、[[アビスパ福岡|福岡]]から[[木藤健太]]を、[[川崎フロンターレ|川崎]]から[[渡辺匠]]、[[木村誠 (サッカー選手)|木村誠]]を、[[サガン鳥栖|鳥栖]]から[[氏原良二]]、[[高林佑樹]]を完全移籍で獲得。更に、昨シーズン[[大宮アルディージャ|大宮]]でプレーした[[レアンドロ・モンテーラ・ダ・シルバ|レアンドロ]]をナシオナルAC([[:en:Nacional Atlético Clube (SP)|en]])からレンタル移籍で獲得した。新人では、[[四日市中央工業高等学校|四日市中央工高]]から[[坂井将吾]]、[[向上高等学校|向上高]]から[[鈴木雄太]]、[[駒澤大学|駒澤大]]から[[鈴木亮平 (サッカー選手)|鈴木亮平]]、[[羽黒高等学校|羽黒高]]から[[ドグラス・ピレス・デ・ソウザ|ドグラス]]、韓国の[[白岩高等学校|白岩高]]から[[李鍾民|イ・ジョンミン]]が加入した。
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'''移籍'''
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石崎体制2年目。
 
 
シーズン途中加入後にゲームキャプテンとしてJ1昇格に貢献した[[山岸範宏]]と、2シャドーの一角として攻撃の活性化を担い、同じくJ1昇格に貢献した[[川西翔太]]がレンタル移籍から完全移籍に移行した。
 
[[ガイナーレ鳥取|鳥取]]にレンタル移籍していた[[谷村憲一]]が[[グルージャ盛岡|盛岡]]にレンタル移籍した(翌年、完全移籍に移行)。また、徳島にレンタル移籍していた[[廣瀬智靖]]が完全移籍への移行に伴い退団した。
 
 
リーグ戦については、前線から積極的にプレスをかけてボールを奪取する能動的な守備戦術で挑んだ。試合の主導権を握る展開が多かったものの、相手ゴール前での攻撃において迫力が足りず得点力不足に陥った為、守ることは出来ても得点が取れずに勝ち星を逃すことが多いシーズンとなった。また、1st開幕戦で[[ベガルタ仙台|仙台]]と対戦した際にDF渡辺とDF山田が負傷。続く1st第2節[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]戦でもDF宇佐美が負傷し、それぞれ長期離脱を余儀なくされた為、リーグ戦開始直後からDF陣が手薄になるという苦しい船出を強いられるなど、主力メンバーの負傷による離脱も大きく成績に響いた。
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== スタジアム・練習場 ==
[[ファイル:J village stadium.jpg|thumb|250px|Jヴィレッジスタジアム]]
* Jリーグ加盟以降は[[山形県総合運動公園陸上競技場]](現:NDソフトスタジアム山形、NDスタ)をホームスタジアムとしているが、[[1999年]] - [[2001年]]は[[山形市陸上競技場]]と[[鶴岡市小真木原陸上競技場]]を準本拠地と位置付けて年数試合ずつを開催。[[2004年]]のJ2第18節([[アビスパ福岡|福岡]]戦)は[[秋田市八橋運動公園陸上競技場]]、[[2005年]]のJ2第7節([[湘南ベルマーレ|湘南]]戦)は[[Jヴィレッジ]]([[福島県]])<ref>山形県陸のピッチコンディション悪化による代替処置によるもの。</ref> でそれぞれ開催した。
*練習場は[[山形県総合運動公園]]以外に、[[山形県あかねヶ丘陸上競技場]]、[[第一貨物教育センター体育館]]、[[酒田市飯森山多目的グラウンド]]も使用している。
;年度・競技場別の試合数
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| 浦和 || 2010 || 3 || 19,021 || 89.3% || NDスタ || J1
|}
 
 
== マスコット ==