「金剛峯寺」の版間の差分

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=== 概要 ===
高野山は山中に開かれた宗教都市である。山内は西院谷、谷上院谷、南谷、小田原谷、本中院谷、千手院谷、一心院谷、五之室谷、往生院谷、蓮華谷の各地区に分かれ、それぞれに多くの寺院が存在する。これらの地区全体の西端には高野山の正門にあたる大門(重要文化財)があり、地区東端には奥の院への入口である一の橋がある。信仰の中心になるのは、山内の西寄りに位置する壇上伽藍と呼ばれる境内地で、ここには金堂、根本大塔を中心とする堂塔が立ち並ぶ。その東北方に総本山金剛峯寺及び高野山真言宗の宗務所がある。この他に、「子院」([[塔頭]])と呼ばれる多くの寺院が立ち並び、高野山大学、[[高野山霊宝館|霊宝館]](各寺院の文化財を収蔵展示する)などもある。弘法大師信仰の中心地である奥の院は、上述の一の橋からさらに2キロほど歩いた山中にある。
=== 壇上伽藍(壇場伽藍) ===
曼荼羅の道場の意<ref>(松永、2014)、p.27</ref>の壇場と、梵語のサンガ・アーラーマの音訳で僧侶が集い修行をする閑静清浄な所の意の伽藍の壇場伽藍であるが、一段高い土地にあるため、今日では「壇上伽藍」と表記されることが多い<ref>名称や建築年に諸説あるが、現地で配布している総本山金剛峯寺伽藍御供所が発行するパンフレットの内容に合わせて、この項では表記する</ref>と表記される。高野山内の西寄りの金堂・根本大塔・西塔・御影堂などの立ち並ぶ一画で、高野山の聖地の1つである。ここは、空海が在世中に堂宇を営んだところで、現在の諸堂塔は大部分が江戸時代後期から昭和時代の再建であるが、真言密教の道場としての高野山の中核となる部分である。<ref>以下、本節の記述は、特記なき限り、松長有慶『高野山』(岩波新書)、pp.20 - 48による。</ref>
なお、壇上伽藍には右遶(うにょう)という正式な参拝方法<ref>右手が清浄とされ、中央に位置する金堂の本尊に右肩を向け右回り(時計回り)で巡る</ref>があり、それにならって概ね以下の順番で堂宇を紹介する。
[[File:高野山伽藍中門.jpg|thumb|200px|right|中門]]
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* 宋版一切経 3,750帖
* 高麗版一切経(版本6,027帖、写本258帖)6,285帖
* '''(2018年度指定見込み)'''紺紙金字法華経 8巻 高麗<ref>平成30年10月31日文部科学省告示第208号</ref>
* 聖観音造立願文
* 町石建立供養願文