「忠臣蔵」の版間の差分

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==== 創作物において ====
 
討ち入りのあった年である元禄15年12月に出た『赤穗鐘秀記』には町名主の「天野屋次郎右衛門」について書かれている。 次郎右衛門は赤穂浪士のために槍二十本を鍛に鍛えさせた事が、町奉行の耳に入り詰問されたが、白状せず牢に入れられる。そして赤穂浪士の討ち入りの話を聞くと、初めて事実を自白したと言う<ref name="amanoya">[[#江崎(1940)|江崎(1940)]] p14 - </ref>。
 
その後『忠誠後鑑録或説』や『參考大石記』でもこの話は書かれ、前者では名前が既に「天野屋理兵衛」になっている<ref name="amanoya" />。