「マシンガン・ケリー」の版間の差分
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アラバマ州の都市は「バーミングハム」 |
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一部の歴史家は、小さな銀行強盗を繰り返していたケリーに「マシンガン・ケリー」と名付けたのも彼女だと主張している。
しかし、そんな苦労も犯罪稼業もオクラホマシティで起こした誘拐事件で終わりが見えてきた。1933年7月20日、ケリーらは[[オクラホマシティ]]に住むチャールズ・F・アーシェル(Charles F. Urschel)と彼の友人ウォルター・R・ジャレット(Walter R. Jarrett)を誘拐、犯行時周囲に気を配り慎重に行動し誘拐に成功したが、その際、犯行現場に指紋などの証拠を残していた。これが後に[[連邦捜査局|FBI]]に送られることになった。犯行から56日後、調査の結果ケリーらはメンフィスにあるJ・C・ティチェノール(J.C. Tichenor)の所有する家に潜んでいることが判明。ケリーらを逮捕する為、[[アラバマ州]][[バーミン
この逮捕の際、ケリーは武器を持たずにFBIらの前に出でて「撃つなGメン!撃つなGメン!("Don't shoot, G-Men! Don't shoot, G-Men!")」と叫んだと言われている。この[[Gメン]]という言葉はそれまでは単に「政府の役人('Government Men')」を指す言葉であったが、この事件以降はFBI特別捜査官を指す言葉になった(「Gメン」に関しては、同時代に活躍した[[ギャング]]、[[ジョン・デリンジャー]]がFBI捜査官に叫んだ言葉との説もある)。
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