「イタリア社会党」の版間の差分

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冷戦中期の社会党はピエモンテ州の北東部、ロンバルディア州の北部、ヴェネト州の北東部、[[フリウリ・ヴェネツィア・ジュリア州]]など一部地域ではまだ10%以上の支持率を集めていた<ref name=Corbetta/><ref name="Interno">[http://elezionistorico.interno.it/index.php?tp=C "::: Ministero dell'Interno ::: Archivio Storico delle Elezioni"]. Elezionistorico.interno.it. Retrieved 24 August 2013.</ref>。冷戦後半、共産党の躍進に危機感を覚えた右派政党と結んで[[反共主義]]を掲げ、南部で急速に支持を広げた。1987年の選挙では[[カンパニア州]]で14.9%、[[プーリア州]]で15.3%、[[カラブリア州]]で16.9%、[[シチリア州]]で14.9%を獲得して全国得票率は14.3%に回復した。1992年の選挙で北部同盟が勢力を伸ばした事も、南部での支持から大きくは響かなかった<ref name=Corbetta/><ref name=Interno/>。
 
冷戦後に政権与党との結びつきで大統領や首相を輩出するなど権勢を極めたが、[[タンジェントポリ]]によって信頼は失墜した。1994年の選挙では得票率は2.19%に急落し、もはや党組織は維持できず社会党は解散された。後継政党として設立された{{仮リンク|イタリア社会主義者|en|Italian Socialists}}、{{仮リンク|[[イタリア民主社会主義者|en|Italian Democratic Socialists}}]]、[[新イタリア社会党]]は主に南部に支持を持ち、2007年に再結党された[[イタリア社会党 (2007-)|イタリア社会党]]もこの傾向を引き継いでいる。
== 党史 ==
=== 黎明期 ===
社会党の解散後、旧社会党系議員の一部はすぐに後継政党の設立に向けて動き出し、{{仮リンク|エンリコ・ボセッリ|en|Enrico Boselli}}を代表とする議員団が{{仮リンク|イタリア社会主義者|en|Italian Socialists}}を結党した。他に社会党の名称を残した新党として[[新イタリア社会党]]が結党された。イタリア社会主義者は左翼民主党と引き続き連携を続け、革新連合に代わる選挙連合「[[オリーブの木]]」にも加わり、[[1996年イタリア総選挙]]で与党に返り咲いた。一方の新社会党は左翼民主党への警戒感を持ち、むしろフォルツァ・イタリアと協力関係を結んだ。同党にはクラクシの実子である{{仮リンク|ヴィットーリオ・クラクシ|en|Bobo Craxi}}がイタリア社会主義者の離党後に参加している。
 
1998年、イタリア民主社会党と合流して党名を{{仮リンク|[[イタリア民主社会主義者|en|Italian Democratic Socialists}}]]に変更した際、カーネーションの党章を復活させた。2000年代には旧民主社会党の再分離や新社会党との対立や、左翼民主党([[左翼民主主義者]]に党名変更)との協力を巡って混乱が続いた。イタリア急進主義者と政党連合「[[バラを握り締めて (イタリア)|バラを握り締めて]]」を立ち上げ、2007年の選挙における左派政党連合「[[ルニオーネ]]」の勝利に貢献した。
 
総選挙後、ルニオーネが諸政党を統合して「イタリア民主党」を結党する構想を発表すると「[[バラを握り締めて (イタリア)|バラを握り締めて]]」のメンバーらを中心にボセッリを書記長とする[[イタリア社会党 (2007-)|イタリア社会党]]の再結党が宣言された。2008年、再結党されたイタリア社会党は民主党への合流を拒否して単独で戦い、全議席を喪失した。ボセッリは書記長を退任し、民主党との協力路線に切り替えられた。2013年、左派連合の一員として3名の下院議員と4名の上院議員が当選し、久しぶりに議席が復活した。
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