「花田虎上」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
104行目:
== 略歴 ==
*[[1971年]]1月20日 - 杉並区阿佐ヶ谷に生まれる <ref>『大相撲杉並場所展 : 阿佐ケ谷勢その活躍と栄光の歴史』(杉並区立郷土博物館編、1991年)</ref>。この日は、第34代横綱[[男女ノ川登三]]が没した日である。
*[[1988年]]3月 - [[明治大学付属中野中学校・高等学校|明治大学付属中野高等学校]]を中退し、[[藤島部屋 (1982-1993)|藤島部屋]](のちの二子山部屋、現在の[[貴乃花部屋]])に弟の光司と同期入門、四股名は'''若花田 勝'''(わかはなだ まさる)。ほかに同期の力士は[[曙太郎|曙]]や[[魁皇博之|魁皇]]らがおり「[[花の六三組]]」と言われた。もともと本人は角界には入るつもりはなかったが、弟を守る壁になれと両親に迫られ、横綱になったら引退して好きなことをさせてもらう約束で入門した<ref name="20141120466+45464">花田虎上 横綱昇進断るつもりだった…角界入りは貴乃花守るため両親に強いられた デイリースポーツ 2014年11月20日(木)12時21分配信</ref>
* [[1990年]]3月 - 十両昇進
* 1990年9月 - [[幕内]]昇進
118行目:
* [[1997年]]1月 - 7場所振り3回目の幕内最高優勝(14勝1敗)
* [[1998年]]3月 - 7場所振り4回目の幕内最高優勝(14勝1敗)
* 1998年5月場所 - 12勝3敗の成績ながら、2場所連続5回目の幕内最高優勝を達成。同場所後には[[横綱]]昇進も決定し、'''史上初の兄弟同時横綱'''が実現する。横綱土俵入りは不知火型を選択。伝達式の口上で「『堅忍不抜』の精神で精進していく」と述べる(前の5月場所、綱獲りのかかった直前の場所で、優勝とはいえ12勝3敗という低レベルの成績が昇進に値するかどうかで議論され、「全勝優勝を求めるべし」と昇進を見送る意見もあった<ref>1998年7月21日付 [[日刊スポーツ]] 相撲面 他各紙より。</ref>。入門時の約束どおり横綱になることになったので、口上の決まり文句「謹んでお受けします」ではなく<ref name="20141120466+45464"/>、「謹んでお断りしてよろしいでしょうか」と言ってそのまま引退するつもりだったが、両親に反対され<ref name="20141120466+45464"/>、仕方なしに横綱になった<ref name="20141120466+45464"/>。以来、自分が相撲を辞めたいと無理を言うと、引退3日前まで、二子山はその度に殴って諌めたという<ref>[http://www.sanspo.com/sports/news/20180317/sum18031706470008-n1.html 花田虎上氏、弟・貴乃花との優勝決定戦の質問に「八百長してないです。僕は死んでもしません」] SANSPO.COM 2018.3.17 06:47(産経新聞社、2018年3月17日閲覧)</ref>。
* 1998年7月 - 新横綱(10勝5敗)
* 1998年11月 - この場所9勝6敗の成績に終わったが、大相撲史上初の2度目の[[平幕優勝]]を果たした[[琴錦功宗|琴錦]]に唯一土をつける。又この1998年は、自身最初で最後の[[年間最多勝]](67勝)および[[年間最優秀力士賞]]を受賞した。[[2016年]]に[[稀勢の里寛|稀勢の里]]が年間最多勝を獲得するまで日本出身力士の年間最多勝は18年間出なかった。
* [[1999年]]1月 - 千秋楽まで単独首位であったが、本割と優勝決定戦で関脇・[[千代大海龍二|千代大海]]に逆転で敗れ、横綱として幕内初優勝ならず。
* 1999年9月 - 十日目の[[闘牙進|闘牙]]戦で、左太腿の肉離れを起こしながらも[[取り直し]]で勝利。しかし翌十一日目から連敗が続きながらも千秋楽まで出場したが、7勝8敗で[[負け越し]](横綱が皆勤しての負け越しは史上5人目(6例目)、15日制が定着してからは[[大乃国康|大乃国]]に次いで2人目)。
* [[2000年]][[3月16日]] - 三月場所五日目に現役引退を表明、[[年寄]]'''藤島'''を襲名する。
* [[2000年]][[3月16日]] - 三月場所五日目に現役引退を表明、[[年寄]]'''藤島'''を襲名する。最後の対戦相手は、奇しくも明大中野高校の後輩でもある、関脇(当時・のち大関)の[[栃東大裕]]だった。本人は高校の後輩として面倒を見ていた栃東ならば、最後の対戦相手として不足はない、と考えていたという。実際、現役最後の白星となった4日目[[玉春日良二|玉春日]]戦の取組後、翌日の対戦相手が栃東と決定した時に、女将(当時)で実母の憲子から電話で「明日栃東でしょう。良かったわね」と話すと、若乃花も「そう。よかったよ、ダイスケで」と喜んだ。しかし、この電話で二人は「栃東戦が最後の一番」と、通じ合っていたという。
* 2000年[[9月23日]] - [[断髪式]]。若乃花最後の横綱土俵入りには太刀持ちに曙、露払いに貴乃花と両横綱が務めた。[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列での中継は関東地区22.6%、関西地区25.6%([[ビデオリサーチ]]調べ)の高[[視聴率]]を記録する。留めバサミは父であり師匠である[[貴ノ花利彰|二子山親方]]。その後、[[日本相撲協会|相撲協会]]を退職し、[[NFL]]選手を目指し渡米。
* 2001年 - [[Xリーグ]]の[[オンワードオークス|オンワードスカイラークス]]にラインバッカーとして入部。キッキングチームなどで計3試合に数プレー出場。
135行目:
 
== エピソード ==
2005年5月30日に父親の二子山親方が死去した後、弟の貴乃花との確執が再び明らかとなった。貴乃花は「年寄株や登記書などの父の遺産が行方不明になっており、兄に『年寄株を買い取れ』などと要求された」<ref>結局一旦紛失した年寄株「藤島」は再発行された。</ref>「相撲を辞めた人間が相撲の事を語るな」などと様々なテレビ番組に出演し話していたが、花田本人は一切反論しなかった<ref>この時の会見で弟の貴乃花が他人行儀に「花田勝氏」「勝氏」と呼んだことが話題となり、[[松村邦洋]]が貴乃花親方のモノマネをする際にもこのコメント部分を用いている。</ref>。この件に関してマスコミの取材を一切受けず、貴乃花の「相撲を辞めた人間が相撲を語るな」との発言を耳にした花田はレギュラー番組だった[[スポーツうるぐす]]も降板。その際「今後は出演する事は無い」との花田のファックスが番組内で紹介された<ref>[[週刊ポスト]]([[小学館]])2005年7月15日号 218〜221ページ『二子山親方「病室の遺言ビデオ」衝撃映像--兄弟戦争に新局面 ベッドの父に花田勝氏がぶり寄り』</ref>。後に5億円以上とも報道された多額の父の遺産放棄を宣言した<ref>『[[日刊スポーツ]]』 2005年7月4日</ref>([[TBSテレビ|TBS]]系テレビ番組「[[100秒博士アカデミー]]」[[2014年]][[3月4日]]放送回での証言によると遺産放棄は父と自身との話し合いによって決めたとのことであり、弟はそれを知らなかったという<ref>{{Cite web|url=http://datazoo.jp/tv/100%E7%A7%92%E5%8D%9A%E5%A3%AB%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%83%87%E3%83%9F%E3%83%BC/704633|title=2014年3月4日放送『100秒博士アカデミー』|accessdate=2015-01-09|date=2014-03-04|publisher=TVでた蔵}}</ref>)。
 
* もともと角界には入るつもりはなかったが、弟を守る壁になれと両親に迫られ、横綱になったら引退して好きなことをさせてもらう約束で入門した<ref name="20141120466+45464">花田虎上 横綱昇進断るつもりだった…角界入りは貴乃花守るため両親に強いられた デイリースポーツ 2014年11月20日(木)12時21分配信</ref>。
2007年に花田美恵子と離婚。「正式に書面を提出し離婚という道を選ぶ事になりました。2人で時間をかけて話し合い、このような結果となりました。出逢えたこと、4人の子供を授かったことなど13年間の結婚生活に感謝しています。これからも2人を温かく見守って頂けると嬉しく思います」と所属事務所を通じてFAXでコメントしている。一方、美恵子元夫人は『[[女性セブン]]』(2007年10月18日号)にて離婚に至る経過を語っている。なお4人の子供の[[親権]]は美恵子元夫人が持つこととなった。数日後美恵子元夫人の不特定多数との不倫行為が報道される<ref>美恵子元夫人の不倫行為の相手として報じられたのは俳優の[[青木堅治]]。</ref>。これが離婚の大きな要因になった可能性を示唆する報道も存在している<ref>[http://www.nikkansports.com/entertainment/p-et-tp0-20071022-272987.html 美恵子さん11歳年下俳優と不倫していた 2007年10月22日日刊スポーツ閲覧]</ref>。
* 1998年5月場所終了後に入門時の約束どおり横綱になることになったので、口上の決まり文句「謹んでお受けします」ではなく<ref name="20141120466+45464" />、「謹んでお断りしてよろしいでしょうか」と言ってそのまま引退するつもりだったが、両親に反対され<ref name="20141120466+45464" />、仕方なしに横綱になった<ref name="20141120466+45464" />。以来、相撲を辞めたいと言う度に、引退3日前まで二子山は殴って諌めたという<ref>[http://www.sanspo.com/sports/news/20180317/sum18031706470008-n1.html 花田虎上氏、弟・貴乃花との優勝決定戦の質問に「八百長してないです。僕は死んでもしません」] SANSPO.COM 2018.3.17 06:47(産経新聞社、2018年3月17日閲覧)</ref>。
* [[2000年]][[3月16日]] - 三月場所五日目に現役引退を表明、[[年寄]]'''藤島'''を襲名する。最後の対戦相手は奇しくも明大中野高校の後輩でもある、関脇(当時・のち大関)の[[栃東大裕]]だった。本人は高校の後輩として面倒を見ていた栃東ならば、最後の対戦相手として不足はない、と考えていたという。実際、現役最後の白星となった4日目[[玉春日良二|玉春日]]戦の取組後、翌日の対戦相手が栃東と決定した時に、女将(当時)で実母の憲子から電話で「明日栃東でしょう。良かったわね」と話すと、若乃花も「そう。よかったよ、ダイスケで」と喜んだ。しかし、この電話で二人は「栃東戦が最後の一番」と、通じ合っていたという。
* 2005年5月30日に父親の二子山親方が死去した後、弟の貴乃花との確執が再び明らかとなった。貴乃花は「年寄株や登記書などの父の遺産が行方不明になっており、兄に『年寄株を買い取れ』などと要求された」<ref>結局一旦紛失した年寄株「藤島」は再発行された。</ref>「相撲を辞めた人間が相撲の事を語るな」などと様々なテレビ番組に出演し話していたが、花田本人は一切反論しなかった<ref>この時の会見で弟の貴乃花が他人行儀に「花田勝氏」「勝氏」と呼んだことが話題となり、[[松村邦洋]]が貴乃花親方のモノマネをする際にもこのコメント部分を用いている。</ref>。この件に関してマスコミの取材を一切受けず、貴乃花の「相撲を辞めた人間が相撲を語るな」との発言を耳にした花田はレギュラー番組だった[[スポーツうるぐす]]も降板。その際「今後は出演する事は無い」との花田のファックスが番組内で紹介された<ref>[[週刊ポスト]]([[小学館]])2005年7月15日号 218〜221ページ『二子山親方「病室の遺言ビデオ」衝撃映像--兄弟戦争に新局面 ベッドの父に花田勝氏がぶり寄り』</ref>。後に5億円以上とも報道された多額の父の遺産放棄を宣言した<ref>『[[日刊スポーツ]]』 2005年7月4日</ref>([[TBSテレビ|TBS]]系テレビ番組「[[100秒博士アカデミー]]」[[2014年]][[3月4日]]放送回での証言によると遺産放棄は父と自身との話し合いによって決めたとのことであり、弟はそれを知らなかったという<ref>{{Cite web|url=http://datazoo.jp/tv/100%E7%A7%92%E5%8D%9A%E5%A3%AB%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%83%87%E3%83%9F%E3%83%BC/704633|title=2014年3月4日放送『100秒博士アカデミー』|accessdate=2015-01-09|date=2014-03-04|publisher=TVでた蔵}}</ref>)。
 
* 2007年に花田美恵子と離婚。「正式に書面を提出し離婚という道を選ぶ事になりました。2人で時間をかけて話し合い、このような結果となりました。出逢えたこと、4人の子供を授かったことなど13年間の結婚生活に感謝しています。これからも2人を温かく見守って頂けると嬉しく思います」と所属事務所を通じてFAXでコメントしている。一方、美恵子元夫人は『[[女性セブン]]』(2007年10月18日号)にて離婚に至る経過を語っている。なお4人の子供の[[親権]]は美恵子元夫人が持つこととなった。数日後美恵子元夫人の不特定多数との不倫行為が報道される<ref>美恵子元夫人の不倫行為の相手として報じられたのは俳優の[[青木堅治]]。</ref>。これが離婚の大きな要因になった可能性を示唆する報道も存在している<ref>[http://www.nikkansports.com/entertainment/p-et-tp0-20071022-272987.html 美恵子さん11歳年下俳優と不倫していた 2007年10月22日日刊スポーツ閲覧]</ref>。
2008年に再婚した倉実夫人について結婚直後の『[[ウラネタ芸能ワイド 週刊えみぃSHOW|週刊えみぃSHOW]]』で司会の上沼に「タレントでいうと誰?」と問われ、花田は女優の[[国仲涼子]]に似ていると答えている。最低3年は裏方として修行の意味でテレビ出演はしないとマスコミ出演を拒んできたが、[[2012年]][[9月25日]]放送の『[[ザ・追跡スクープ劇場|ザ・追跡スクープ劇場4]]』([[日本テレビ放送網|日本テレビ]])でテレビに初出演。以来、夫や[[姑]]である藤田紀子とともにテレビ共演することも少なくなかった。
 
* 2008年に再婚した倉実夫人について結婚直後の『[[ウラネタ芸能ワイド 週刊えみぃSHOW|週刊えみぃSHOW]]』で司会の上沼に「タレントでいうと誰?」と問われ、花田は女優の[[国仲涼子]]に似ていると答えている。最低3年は裏方として修行の意味でテレビ出演はしないとマスコミ出演を拒んできたが、[[2012年]][[9月25日]]放送の『[[ザ・追跡スクープ劇場|ザ・追跡スクープ劇場4]]』([[日本テレビ放送網|日本テレビ]])でテレビに初出演。以来、夫や[[姑]]である藤田紀子とともにテレビ共演することも少なくなかった。
2017年11月場所に発覚した日馬富士による貴ノ岩への暴行事件について、11月14日に[[Facebook]]で「これが本当であれば協会が判断するうんぬんではなく刑事事件として警察に任せる程の事だと私は思いました」と発言した。その後、「憶測が憶測を呼び何が真実かわからなくなっている今、被害者が何も発言していない今、当事者でない私が何を話しても説得力がない」(11月23日)として発言を控える意向を表明していた<ref>{{Cite news|title=花田虎上、日馬富士暴行問題でコメントしないと表明|url=https://www.sanspo.com/sports/news/20171123/sum17112321210021-n1.html|accessdate=2018-11-02|language=ja-JP|work=サンスポ}}</ref>。ところが騒動が沈静化せず、芸能界の仕事で世話になっている[[上沼恵美子]]の要請を受け、12月10日に[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]「[[上沼・高田のクギズケ!|上沼・高田のクギズケ!]]」に出演。「この問題に関しては(貴乃花親方は)被害者側だと思うんです」と絶縁している弟の師匠としての立場に理解を示す発言をしている<ref>{{Cite news|title=花田虎上氏、弟・貴乃花親方は「この問題に関しては被害者側だと思う」|date=2017-12-10|url=https://www.hochi.co.jp/entertainment/20171210-OHT1T50112.html|accessdate=2018-11-02|language=ja-JP|work=スポーツ報知}}</ref>。
 
* 2017年11月場所に発覚した日馬富士による貴ノ岩への暴行事件について、11月14日に[[Facebook]]で「これが本当であれば協会が判断するうんぬんではなく刑事事件として警察に任せる程の事だと私は思いました」と発言した。その後、「憶測が憶測を呼び何が真実かわからなくなっている今、被害者が何も発言していない今、当事者でない私が何を話しても説得力がない」(11月23日)として発言を控える意向を表明していた<ref>{{Cite news|title=花田虎上、日馬富士暴行問題でコメントしないと表明|url=https://www.sanspo.com/sports/news/20171123/sum17112321210021-n1.html|accessdate=2018-11-02|language=ja-JP|work=サンスポ}}</ref>。ところが騒動が沈静化せず、芸能界の仕事で世話になっている[[上沼恵美子]]の要請を受け、12月10日に[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]「[[上沼・高田のクギズケ!|上沼・高田のクギズケ!]]」に出演。「この問題に関しては(貴乃花親方は)被害者側だと思うんです」と絶縁している弟の師匠としての立場に理解を示す発言をしている<ref>{{Cite news|title=花田虎上氏、弟・貴乃花親方は「この問題に関しては被害者側だと思う」|date=2017-12-10|url=https://www.hochi.co.jp/entertainment/20171210-OHT1T50112.html|accessdate=2018-11-02|language=ja-JP|work=スポーツ報知}}</ref>。
しかし* 2018年6月10日放送の[[関西テレビ放送|関西テレビ]]「[[快傑えみちゃんねる|快傑 えみちゃんねる]]」出演中に、母の藤田紀子と距離を置いていることを明かした。角界を離れアメフトの世界で選手が母親を大切にしているのを見て感銘を受けたためこれまで母親を大切に扱ってきたが、藤田が各局のワイドショーに出演し角界の内部情報をほのめかし続けたことについて「自分の中で裏切られたということがあって。テレビに出て自分の子ども(貴乃花)をかばうのはいいんですけど、今まで助けてくれていた人たちのことを全然顧みず裏切ったりしていたので。僕の本心が違うように伝わっていたので。僕が言いたいことを母がほとんど言っていない」と不快感をあらわした<ref>{{Cite news|title=花田虎上 母・藤田紀子と関係悪化…「裏切られた」 貴乃花も絶縁状態/デイリースポーツ online|url=https://www.daily.co.jp/gossip/2018/06/01/0011315404.shtml|accessdate=2018-11-02|language=ja-JP|work=デイリースポーツ online}}</ref>。
 
* 2018年9月25日に弟の貴乃花が退職表明をしたときは「"貴乃花"という部屋を興して頑張っていたので、もったいないなという気持ちはありますけど、あれだけ相撲が好きだったところに、"相撲道"とずっと言っていたので協会にいた方がいい人材である」と退職を惜しむコメントを出した。協会とのことについては、「[[大乃国康|芝田山親方]]にウソはないと思います。どういう方か存じていますので、引き留められたと思います」と話している<ref>{{Cite news|title=貴乃花親方と協会の食い違う見解…兄・花田虎上が語る弟への思い - FNN.jpプライムオンライン|url=https://www.fnn.jp/posts/00367320HDK|accessdate=2018-11-02|language=ja-JP|work=FNN.jpプライムオンライン}}</ref>。
 
== 主な成績 ==