「岩崎恭子」の版間の差分

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[[1992年]]、バルセロナオリンピックでも当初は[[岡林くみこ]]が期待の星であり岩崎は全くの無名の選手であり全くのノーマークであった。岩崎自身もバルセロナオリンピックの前、「決勝に残れればいい方だと思います。」とテレビで語っている。当時の世界記録保持者のアニタ・ノールとタイムの差が大きく開いてあったため、岩崎本人もまさか自分が金メダルが取れるとは夢にも思わなかったという。
 
[[1992年バルセロナオリンピック]]の[[競泳]]女子200m[[平泳ぎ]]で金メダルを獲得し、記録は2分26秒65だった(当時の五輪新記録&自己の生涯ベスト記録)。競泳女子200m平泳ぎでの金メダルは、[[1936年ベルリンオリンピック]]の[[前畑秀子]]以来、日本人として56年ぶり史上2人目の快挙達成だった(日本女子選手で競泳種目の五輪金メダリストは、[[1972年ミュンヘンオリンピック]]の100m[[バタフライ]]の[[青木まゆみ]]以来20年ぶり3人目)。また、競泳では史上最年少(14歳6日)の金メダル獲得(2011(2018811月現在も競泳最年少記録)で、日本選手としての五輪メダル獲得の最年少記録でもあった。金メダルを獲得したレース直後に[[インタビュー]]で岩崎は「'''今まで生きてきた中で、一番幸せです。'''」と語り、一躍時の人となった<ref>{{cite news|title=今まで生きてきた中で、一番幸せです |url=http://london2012.nikkansports.com/column/quotations/archives/f-cl-tp0-20120718-985504.html |newspaper=日刊スポーツ |accessdate=2012年10月6日 |date=2012年7月18日}}</ref>。その他出場種目では[[メドレーリレー]]では7位入賞、100m平泳ぎでは13位だった。
 
同年の[[第43回NHK紅白歌合戦]]では、[[光GENJI]]の『[[リラの咲くころバルセロナへ]]』の曲紹介でゲスト出演した(光GENJIの[[諸星和己]]は沼津の隣である[[富士市]]の出身)。