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:代表的著書。1812年(文化9年)起稿。全37巻。本居宣長の『[[古事記伝]]』の形式にならって、自著『古史成文』を一段ずつ自ら注釈している。[[1814年]](文化11年)に8巻まで刊行。生前に28巻が刊行される。全巻の刊行は[[1911年]](明治44年)で、平田鐵胤の依頼で[[矢野玄道]]が篤胤の残した草稿を仕上げた。
*『[[仙境異聞]]』
:代表的著書。全2巻。[[1822年]](文政5年)刊行。神仙界を訪れ、呪術を身に付けたという寅吉からの聞書きをまとめたものである。寅吉は7歳のときに[[杉山僧正]]に伴われて、常陸の[[岩間山]]に行き、修行して幽冥界に行き、外国も廻ったと主張し、呪術を操って江戸で評判となった。このことを聞いた篤胤は最初に寅吉を保護していた山崎美成のもとから半ば強引に自分の家に連れてきて数年間住まわせた。篤胤は神仙界に住むものたちの衣食住・祭祀・修行・医療・呪術などについて、くまなく質問をして、その内容をこの本に収めた。当時この本は平田家では門外不出の厳禁本であり高弟でも閲覧を許されないといわれていた。
:以前から異境や隠れ里に興味を抱いていた篤胤は、寅吉の話により、幽冥の存在を確信した。篤胤は寅吉を説得する事により、して幽冥で寅吉た師仙の神姿を絵師に描かせ、以後はその尊図平田家家宝として斎祭っ大事にした。寅吉が幽界に帰る際には、この師の杉山僧正がまわれるう信濃国[[浅間山]]の隠れ里の[[山神]]に対して、篤胤自ら認がしたためた手紙と自著霊能真柱」を添え[[神代文字]]への質疑文を、寅吉に委ね山神に献上手渡したという。同書には、これら一切の経緯やその折に山神や寅吉に手向けた歌などを詠じた文や和歌を、仙境異聞の中に記述すも収められている。山神の図は現在東京[[代々木]]の[[平田神社 (渋谷区)|平田神社]]宗家に大切に保管され、[[滋賀県]][[大津市]][[近江神宮]]では山神祭として定例の日に山神祭で祭られている。
:「鬼神新論」「本教外篇」「古今妖魅考」「勝五郎再生記聞」「霧島山幽境真語」「稲生物怪録」「幽顕弁」などの一連の異界探究の論考の中に『仙境異聞』全五巻も含まれている。上の巻は三巻で下の巻が二巻そして此の中に「仙童寅吉物語」「神童憑談畧記」「七生舞の記」についての考察がなされている。当時この本は平田家では門外不出の厳禁本であり高弟でも閲覧を許されないといわれていた。内容を概略すると「此は吾が同門に、石井篤任と云者あり。初名を高山寅吉と云へるが、七歳の時より幽界に伴はれて、十四歳まで七箇年の間信濃国なる浅間山に鎮まり座る神仙(寅吉の師翁で[[杉山僧正]]と名乗る山人)に仕はれたるが、この間に親しく見聞せる事どもを、師の自ずから聞き糺して筆記せられたる物なるが、我古道の学問に考徴すべきこと少なからず、然れど此は容易く神の道を知らざる凡学の徒に示すべきものには非らず」と記載されている。
:以前から異境や隠れ里に興味を抱いていた篤胤は、寅吉の話により、幽冥の存在を確信した。篤胤は寅吉を説得する事により、幽冥で寅吉の見えた師仙の神姿を絵師に描かせ、以後はその尊図を平田家家宝として斎祭った。寅吉が幽界に帰る際には、この師の住まわれると言う信濃国[[浅間山]]の隠れ里の山神に対して、篤胤自ら認めた手紙と自著「霊能真柱」を添え、又[[神代文字]]への質疑文を、寅吉に托し委ねて山神に献上手渡したという。これ等の経緯やその折に山神や寅吉に手向けた歌などを詠じた文や和歌を、仙境異聞の中に記述する。山神の図は現在東京代々木の[[平田神社]]宗家に大切に保管され、滋賀県大津の[[近江神宮]]では山神祭として定例の日に祭られている。
 
*『勝五郎再生記聞』
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== その他 ==
[[2006年]][[8月22日]]放送の「[[開運!なんでも鑑定団]]」にて、篤胤のものとされる書簡を鑑定した結果、胤の書簡であることが明らかになった。胤は書簡のなかで、幕末の混沌とした政情の中[[王政復古]]が間近に迫っていることに言及している。[[2015年]][[11月24日]]の放送でも書簡が鑑定され本物銕胤書簡であることがらかになった。
 
== 脚注 ==
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== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|author=[[伊東多三郎]]|chapter=平田篤胤|editor=日本歴史大辞典編集委員会|year=1979|month=11|title=日本歴史大辞典第8巻 は-ま|publisher=[[河出書房新社]]|ref=伊東}}
* {{Cite book|和書|author=[[井上隆明]]監修|editor=塩谷順耳・田口勝一郎・千葉三郎ら編集|year=2000|month=7|chapter=|title=秋田人名大事典 第2版|publisher=[[秋田魁新報|秋田魁新報社]]|series=|isbn=4-87020-206-9|ref=人名}}
* {{Cite book|和書|author=[[今村義孝]]|year=1969|month=11|chapter=雷風義塾|title=秋田県の歴史|publisher=[[山川出版社]]|series=県史シリーズ5|isbn=4-634-23050-X|ref=今村}}
* {{Cite book|和書|author=[[賀川隆行]]|chapter=|editor=|year=1992|month=7|title=集英社版日本の歴史14 崩れゆく鎖国|publisher=[[集英社]]|isbn=4-08-195014-8|ref=賀川}}
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* {{Cite book|和書|author=[[桑原恵]]|chapter=7 古典研究と国学思想|editor=[[頼祺一]]編|year=1993|month=7|title=日本の近世第13巻 儒学・国学・洋学|publisher=[[中央公論社]]|isbn=4-12-403033-9|ref=桑原}}
* {{Cite book|和書|author=[[子安宣邦]]|translator=成瀬治|editor=フランク・B・ギブニー編|chapter=平田篤胤|year=1973|month=7|title=[[ブリタニカ国際大百科事典]]17 ヒラ—ペタ|publisher=[[ティビーエス・ブリタニカ]]|ref=子安}}
* {{Cite book|和書|author=笹尾哲雄|year=2014|month=3|chapter=平田篤胤|title=近世・秋田人物列伝 - 秋田を彩った49人-|publisher=秋田文化出版|series=|isbn=978-4-87022-553-4|ref=笹尾}}
* {{Cite book|和書|author=鈴木久忠|year=1981|month=9|chapter=平田篤胤|title=秋田大百科事典|publisher=秋田魁新報社|series=|isbn=4-87020-007-4|ref=鈴木}}
* {{Cite book|和書|author=[[西岡和彦]]|editor=[[岡田荘司]]編|chapter=II 四 理論化する神道とその再編|year=2010|month=7|title=日本神道史|publisher=[[吉川弘文館]]|isbn=978-4-642-08038-5|ref=西岡}}
* {{Cite book|和書|author=[[田原嗣郎]]|chapter=平田篤胤|editor=國史大辭典編集委員会|year=1990|month=8|title=國史大辭典11 にた-ひ|publisher=吉川弘文館|isbn=4-642-00511-0|ref=田原}}
* {{Cite book|和書|author=[[宮地正人]]|editor=|year=2012|month=8|title=幕末維新変革史・上|publisher=[[岩波書店]]|isbn=978-4-00-024468-8|ref=宮地1}}
* 平成16年の別冊太陽「平田篤胤」号(平成16[[2004]][[5月23日]]発行、[[平凡社]]) - [[平田神社 (渋谷区)|平神社]]第6代宮司[[米田勝安]]と作家の[[荒俣宏]]の対談を中心に宗家秘蔵の未公開資料が写真版を含め多数収録されている。内容は篤胤の神道思想から幽冥論・神仙研究・民俗研究・医道論・書簡日記にも及び、なかでも宣長との「夢中対面図」をはじめ、「高根神の尊図」仙境異聞の中で寅吉から異界の模様を聞き糺し、仙境の模様を精密に筆写描写して絵図に描いた「七生舞の記」や「仙境図」・「霊宝五嶽真形図」などの他「稲生平太郎物語」や「おのころ島の図」「吹舎日記」などの貴重な資料を写真公開している。
 
== 関連項目 ==