「レオニード・クチマ」の版間の差分

クチマは、[[ヨーロッパ]]と[[ロシア]]の中間にあり、両者の緩衝地帯となっているウクライナの地政学的位置を生かした。[[欧州連合|EU]]や[[北大西洋条約機構|NATO]]に加盟を表明し、さらに中・東欧非核化地域構想の提唱や、「クチマ・ゴア委員会」の設置に見られる対米関係を強化、ロシアを牽制するとともに、西側諸国から多額の支援を引き出すことに成功した。また、ロシアへの[[核兵器]]の完全移送や、[[チェルノブイリ原子力発電所]]の閉鎖なども実施した。その一方で、クチマは、経済改革に伴い誕生した新興財閥と癒着し、次第に強権化、集権化を強めていったため、西側との関係も冷却した。[[2000年]]11月、反体制ジャーナリストの殺害にクチマ大統領が関与しているとの疑惑が持ち上がる。野党勢力による大統領退陣要求が高まる中、ウクライナの国内政局は流動化した。クチマは事態を打開するため、ロシアに軸足を移しつつあった。
 
2002年議会選では、与党系のブロックである統一ウクライナのために({{lang|uk|За Єдину Україну!}})を支持したが、比例区での得票率は[[ヴィクトル・ユシチェンコ]]率いる我らがウクライナブロック(23.57%)、共産党(19.98%)に次ぐ、11.77%に留まった<ref>[http://www.cvk.gov.ua/pls/vd2002/WEBPROC0V ウクライナ選挙委員会発表2002年議会選結果(ウクライナ語)]<\ref>
この時、ドネツィク州では統一ウクライナのためにブロックは36.83%の得票率をあげ、全ウクライナにおける約30%の得票を同州で獲得した。
この高い動員力に着目し、2002年11月に同州の州知事を務めていた[[ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ]]を首相に推薦した。
5

回編集