「千住火力発電所」の版間の差分

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[[1926年]](大正15年)1月に運転が開始され、施設名称は引き続き'''千住火力発電所'''とされ、以後「千住火力発電所」とはこちらを指すようになった。当初は予備発電所として25,000[[キロワット|kW]]の発電能力を持っていたが、順次増設されて最終的には75,000kWの発電能力を持つまでに至った。
 
発電所のシンボルであり、“お化け煙突”の愛称で呼ばれた([[#お化け煙突|後述]])高さ80mあまりの長大な煙突群は、[[1926年]](大正15年)1月にまず3本が建設された後<ref>関東大震災で被災した[[浅草火力発電所]]から、倒壊せず残った煙突3本を移設したという説がある。([http://www.tonya-gai.com/%E6%AD%B4%E5%8F%B2/%E6%98%8E%E6%B2%BB%E3%83%BB%E5%A4%A7%E6%AD%A3/ 歴史「明治・大正」]東京下町問屋街)。</ref>、翌年の[[1927年]](昭和2年)2月に1本を増設した。建設当時の費用は1本あたり600万円ほどであった。
 
[[第二次世界大戦]]中には予備発電所から昇格し、常時稼働設備として本格発電を開始する。[[東京大空襲]]を始めとする東京地区への複数回の[[空襲]]でも標的とされることはなく<ref>1942年4月18日に行われたアメリカ軍の[[東京初空襲]]([[ドーリットル空襲]])では[[陸軍造兵廠|東京第一陸軍造兵廠]]を目標としていた機体が位置を誤って[[隅田川]]対岸西方にある[[荒川区]][[西尾久]]を爆撃しており、当発電所の近傍を通過しているが、被害は受けていない。「千住火力発電所も攻撃目標とされていた」とする新聞記事や文献等もあるが(東京新聞 2012年4月16日『本土初空襲から70年 爆心地の記憶 風化させぬ』「[http://tamutamu2014.web.fc2.com/hatukuusyuu.htm たむたむ(多夢・太夢)ホームページ>本土初空襲(ドゥ〈-〉リットル空襲)]」)、アメリカ軍の計画において目標として選定されていたかについては不明である。</ref>、発電所本体・煙突群共に被害を受けることなく終戦を迎えた。
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== 発電設備 ==
* 総出力:7.5万kW
;1号機(廃止)
:定格出力:2.5万kW
:使用燃料:[[石炭]]
:営業運転期間:1925:1926年 - 19641963
;2号機(廃止)
:定格出力:2.5万kW
:使用燃料:石炭
:廃止時期:1964:1963
;3号機(廃止)
:定格出力:2.5万kW
:使用燃料:[[重油]](1953年までは石炭)
:廃止時期:1964:1963
;所内機(廃止)
:定格出力:0.25万kW(総出力には含めず)
:使用燃料:石炭
:営業運転期間:1925:1926年 - 19641963
 
=== 煙突部 ===