「藤子・F・不二雄」の版間の差分

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14歳の頃、藤本は手塚にファンレターを出す。その返事として「しっかりしたタッチで将来がたのしみです」と手塚から直筆のハガキを受け取り、ますますファンになったという。藤本はそのハガキを生涯大事に保管していて、現在は[[藤子・F・不二雄ミュージアム]]に展示されている。
 
高校卒業時には一旦就職することに決めるが、漫画家への夢を諦めきれず、春休みを利用して手塚治虫に会いに行ったこともある。藤本は高校を卒業して漫画家としてやっていけるか不安だったが、手塚から「君たちならやっていけると思う」と言われたことでプロになることを決意したという。当時を想起して、藤本は「夢の様な声をかけてくれた」と語っている<ref>小学館 学習まんが人物館 手塚治虫 解説/藤子・F・不二雄 1996年 ISBN 409-270103-9</ref>。その頃の2人のペンネームは「手塚の足元にも及ばない」として「足塚不二雄」であった。その後、藤本と安孫子は憧れの手塚がかつて住んでいた[[トキワ荘]]の14号室に部屋を借り、漫画を描いた。手塚は2人のためにトキワ荘の敷金を肩代わりし、漫画を描くための机を残した。そのため、トキワ荘時代の作品は手塚が使っていた机で描かれた。この机は現在、安孫子の実家に保管されている。手塚が肩代わりした敷金3万円は、6年掛けて手塚に返済したという。藤本の初期の絵は手塚に酷似した絵であった。
 
その後も藤本は漫画の描き方の本や自伝などで頻繁に手塚作品への特別な思いを述べており、「いつか手塚先生のような壮大な作風にも挑戦してみたい気持ちもある」とも語っていた。