「邑 (朝鮮)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
16行目:
{{出典の明記|section=1|date=2014年6月}}
{{see also|日本統治時代の朝鮮の行政区画}}
日本による植民地統治期の'''邑'''は、郡の下に置かれた[[行政区分]]の一つ。[[面 (朝鮮)|面]]よりも人口の多い区域を指し、日本の[[市町村|町]]に相当する。長官は邑長である。
 
統治初期には、道の下に[[郡]]と府(都市部、特に日本人の比率が高い地域)、郡の下に面が置かれていた。1917年に人口の多い面を指定し、日本人の面長を置くことができるなどの制度改正が行われた(指定面)。1930年5月9日公布の邑面制(昭和5年制令第12号)によって邑が法制化された。これにより、指定面が順次邑に昇格するとともに、その後都市化が進んだ面が邑へ昇格した。邑がさらに発展すると、郡から独立した府に昇格する。