「東京芸術大学大学美術館」の版間の差分

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[[東京藝術大学]]美術学部の前身は、日本美術復興運動に取り組んでいた[[岡倉天心]]、[[アーネスト・フェノロサ]]らの尽力によって[[1887年]]([[明治]]20年)に設立され、[[1889年]]に開校した[[東京美術学校 (旧制)|東京美術学校]]である。開校当時の教官には[[橋本雅邦]]、[[川端玉章]]らがおり、初期の学生には[[横山大観]]、[[下村観山]]、[[菱田春草]]ら、日本の近代美術史上著名な人物が揃っていた(初代校長は、文部省専門学務局長の浜尾新が暫定的に務め、岡倉天心は2代校長である)。東京美術学校では、伝統美術の復興を目指す岡倉天心の教育方針もあり、学生の参考資料として、開校以前から古美術品を収集していた。さらに、美術学校としての特性から、歴代教官の作品、学生の[[卒業制作]]、文部省買上げ美術品などが2万9千件以上収蔵されている。
 
東京美術学校では、収蔵品を展示するために[[1929年]]([[昭和]]4年)に赤煉瓦造の「陳列館」([[岡田信一郎]]設計)、[[1935年]](昭和10年)に白壁、瓦葺で城郭風の「正木記念館」を建設した。正木記念館は[[1901年]](明治34年)から[[1932年]](昭和7年)まで校長を務めた[[正木直彦]]を記念して建てられたものである。これらの展示館は[[1970年]](昭和45年)東京芸術大学芸術資料館という名称で一般向けにも開館し、展覧会開催中は学外の人も自由に観覧できるようになった。しかし、一般公開されるようになったとはいえ、これらの展示館はスペースも限られ、近代的な美術館の機能を果たしているとは言いがたかった。[[1998年]]([[平成]]10年)に芸術資料館は東京藝術大学大学美術館と改称。翌[[1999年]]にミュージアムショップやカフェテリアを備えた新館が完成した。また、これと前後して[[1994年]]には[[茨城県]][[取手市]]の取手キャンパスに取手分館が設置された。大学美術館では、大学自体の収蔵品の展示公開のほか、さまざまな特別展を開催している。
 
== 主な収蔵品 ==