「イザベラ・バード」の版間の差分

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== 略歴 ==
1831年10月15日、イギリス・[[ヨークシャー]]で牧師の二人姉妹の長女として生まれる。妹の名はヘニー。宗教色の強い中流家庭で育った<ref name=yamada/>。幼少時に病弱で、時には北米まで転地療養したことがきっかけとなり、長じて旅に憧れるようになる。[[アメリカ合衆国|アメリカ]]や[[カナダ]]を旅し、[[1856年]](安政3年)、{{lang|en|"''The Englishwoman in America''"}}を書いた。1857年に父親を亡くし、母親と妹とともにエジンラに転居<ref name=yamada/>。その後、ヴィクトリアン・レディ・トラヴェラー(当時としては珍しい女性旅行家)として、世界中を旅した。『サンドイッチ諸島での六ヶ月』、『ロッキー山脈におけるある婦人の生活』を著す<ref name=yamada/>。
 
明治政府最初の御雇外国人の一人であったコリン・アレクサンダー・マクヴェイン (Colin Alexander McVean) から、1877年、数回にわたり彼の日本滞在経験を聞いて日本に興味を持った [Bird Letter 1878]。1878年2月、日本行きを逡巡していたバードの背中をマクヴェインが押して、旅行の助言と便宜を提供した。紹介された人物を頼りに、バードは4月9日にヨーロッパ大陸を経由して日本に向かった [McVean Diary 1877, 1878]。