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[[江戸時代]]の[[天明]]8年(1788年)、[[天明の大火]]で[[京都御所|内裏]]が焼失した折には、青蓮院が[[後桜町天皇|後桜町上皇]]の仮仙洞御所となった。このため'''青蓮院旧仮御所'''として国の[[史跡]]に指定されている。
 
近代に入り、明治26年(1893年)の火災で大部分の建物が失われた。

平成4年(1993年)<!--4)4月25日-->には過激派([[中核派]])の放火により好文亭が焼失したが2年後に再建されている。
 
戦後、[[香淳皇后]]の弟にあたる[[東伏見慈洽]]が門主となったが、復興に努力した執事長との争いがこじれ、ストライキ騒ぎが起きたり、[[日本労働組合総評議会]]が門前に赤旗を並べたこともあった。多くの文化財が青蓮院の所有を離れた経緯が不明瞭であるとして国会で追及されたこともある。晩年の慈洽は世襲が想定されていない青蓮院門主の地位を息子の慈晃に譲ろうとして、これを阻止しようとする[[天台宗]]教団と軋轢を生じた。最終的には要求が容れられなければ青蓮院を天台宗から脱退させるという慈洽の強硬な態度に天台宗側が屈服し、慈晃の門主世襲が実現することになった。慈晃の跡は現在執事長を務めている子息の[[東伏見慈晋|慈晋]]への継承が予定されている。