「ヴァンダル王国」の版間の差分
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グンタムント王の没後、王位を継承したのは{{仮リンク|ゲント(ガイセリックの子)|en|Gento (son of Genseric)}}の三男で、先王の弟であった{{仮リンク|トラスムンド|en|Thrasamund}}([[496年]] - [[523年]])であった。トラスムンドは古典文化の素養を備えた教養人で、対外政策でも協調外交を模索し、国内ではカトリック教会に対して理解ある立場を示した<ref>松谷健二 116ページ</ref>。建国の祖ゲイセリックの侵略やフネリックのカトリック弾圧は時代に合うものではなかった。
イタリアを治める[[東ゴート王国]]と協調して領土紛争についての揉め事を解決し、共通の脅威であった[[東ローマ帝国]]や[[西ゴート王国]]に協力して当たるというのが両国の課題となっていた。トラスムンドは東ゴートの[[テオドリック]]王を盟友に選ぶ<ref>松谷健二 117ページ</ref>。[[507年]]、テオドリックは娘と[[西ゴート]]王[[アラリック2世]]の息子[[アマラリック]]の後見人となっていた。そのテオドリックの妹{{仮リンク|アマラフリーダ|en|Amalafrida}}をトラスムンドは妻に迎えて、[[東ゴート]]、[[西ゴート]]の両勢力と縁戚同盟を形成した。さらにテオドリックは[[クロヴィス1世]]の妹を娶り、娘を西ゴート王国や[[ブルグンド王国]]に嫁がせて[[ゲルマン]]大同盟を築いていた<ref>松谷健二 117-118ページ</ref>。アマラフリーダは持参金として[[アフリカ]]にとっての戦略拠点[[シチリア]]西部を持って嫁いだ。かの地はグンタムント王の出兵において奪われた土地であった。東ゴート王国からヴァンダル王国に領土返還がなされたのである<ref>松谷健二 117ページ</ref>。
{{main|テオドリック|東ゴート王国}}
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