「トロイ・ニール」の版間の差分

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日本シリーズMVPの数字に関して
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{{by|1995年}}に「アスレチックスの4番打者」という触れ込みで[[オリックス・バファローズ|オリックス・ブルーウェーブ]]に入団。契約金、年俸それぞれ1億円という破格の待遇で4番打者として活躍。同年は1本差で[[最多本塁打 (日本プロ野球)|本塁打王]]を逃すものの、指名打者で[[ベストナイン (日本プロ野球)|ベストナイン]]に選出。翌{{by|1996年}}には本塁打王と[[最多打点 (日本プロ野球)|打点王]]を獲得し、オリックスの2連覇に貢献した。
 
長距離砲の少なかったオリックスにとっては貴重な存在だった。三振は多いが[[得点圏|チャンス]]に強く、[[1996年の日本シリーズ]]でも17打数3[[安打]]で打率.176の成績だったものの、放った3安打が全て2点[[適時打|タイムリーヒット]]で6[[打点]]をマークし、[[最優秀選手 (野球)|MVP]]に輝いた。野手のMVPで、3安打・4塁打・打率.176・長打率.235は、現在2018年に甲斐拓也が更新するま史上最小値であった。この時のMVPインタビューの最後を締めた言葉は「'''がんばろう、[[神戸市|神戸]]!'''」だった。
 
{{by|1997年}}オフに一度解雇されたが翌{{by|1998年}}シーズン途中に復帰し、[[7月5日]]の対[[大阪近鉄バファローズ|近鉄]]13回戦ではチーム通算(阪急時代を含む)6000号を放ち、[[8月9日]]の対[[福岡ソフトバンクホークス|ダイエー]]21回戦では1イニング2本塁打を放ち(プロ野球史上16度目)、前日の同カードでも2打席連続本塁打を放つなど(2試合連続2打席連続本塁打は[[1980年]][[8月6日]]、[[8月7日|7日]]の[[山崎裕之]]以来18年ぶり)再び主砲として活躍した。また、[[5月15日]]の対ダイエー6回戦で4番・DHとしてスタメン出場が決まっていた試合で、試合直前からひどい腹痛に見舞われたが、メンバー交換後なのでルール上ではDHは必ず一度は打席に立たねばならず、ニールは仕方なく体調不良のまま出場。初回の攻撃で下痢を我慢しながら打席に立ち、先発・[[吉武真太郎]]の球を適当に振ったら大当たりして本塁打になった。全く喜ばずにニールは全速力で塁を回り、[[ハイタッチ]]もせずにベンチ裏へ下がってトイレへ直行したため、一同に爆笑された。