「史上最大の作戦」の版間の差分

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独軍情報部のマイヤー大佐は、占領下のフランスにイギリスのBBC放送が送っている各メッセージの分析を行いながら、ヴェルレーヌの詩≪秋の歌≫が放送されたことに注目していた。前半の一節「秋の日の ヴィオロンの ためいきの」{{efn|「秋の日の ヴィオロンの ためいきの……」は、[[上田敏]]が訳詩集『[[海潮音 (詩集)|海潮音]]』で行った訳で、映画『史上最大の作戦』の公開時の字幕はこの訳が使われていた。その後テレビでの日本語版やBSテレビで放映の字幕では、『海潮音』によるものではなく、直接翻訳をおこなったもの(例えば「秋のバイオリンの長いすすり泣き」)が使われている。}}が数日間にわたって放送されて、次の後半の一節が放送された時は24時間以内に連合軍の上陸が始まると予測していた。そして独西部軍参謀総長ブルーメントリット大将([[クルト・ユルゲンス]])から西部軍最高司令官ルントシュテット元帥([[パウル・ハルトマン]])に警戒情報を出すように要請したが、元帥はラジオから流されるヴェルレーヌの詩だけでは警戒情報は出せないと却下した。ロンメルは6月に入ってから悪天候が続きで連合軍の上陸はないと判断してベルリン行きを決めた。その時に自宅の妻に贈る誕生日のプレゼントを持って行く。
 
6月5日、イギリスに結集し設けられた連合軍キャンプでは、結集した将兵が今か今かと上陸作戦の決行を待っていた。米軍第82空挺師団バンダーボルト中佐([[ジョン・ウェイン]])はずっと待つだけで出撃したがっている部下に対してイギリスはもう5年間も待っているのだと諭し、後続部隊を含めて総計300万人が参加するオーバーロード作戦に思いを新たにしていた。ただ彼は上陸作戦でサン・メール・エグリーゼの郊外に降下する時にタイミングを誤ると沼地か市内中心部に降りる危険性を第82空挺師団副師団長ギャビン准将([[ロバート・ライアン]])に伝えていた。米陸軍第29師団コータ准将([[ロバート・ミッチャム]])は2回も延期されて3日間も缶詰状態で待たされて延期はもう無しにしてくれと嘆き、そこへ副官のニュートン大佐([[エディ・アルバート]])がアイゼンハワー連合軍最高司令官が今夜9時半に会議の招集をかけて決行か延期かの判断が出るとの情報を持ってきた。今夜の会議で決まると聞いて兵たちは賭け事をしたりして高ぶる気持ちを鎮めていた。第82空挺師団シュルツ一等兵([[リチャード・ベイマー]])はその賭け事で大儲けしたが、以前に大儲けした後に良くないことが起きたことを思い出して、再度賭けに参加して負けるようにした。
 
外の雨を心配そうに窓から見ながら英空軍気象部スタッグ大佐は各気象情報から天候が回復すると判断して上層部に伝えた。独軍第84軍団長マルクス大将は軍内部の議論の場で、上陸地点を英仏間が近いカレー付近と予想する向きが多いことに異論を述べて、一番距離が遠いノルマンディーの可能性が高い、そしてこういう荒天の時が一番いい、しかしアイゼンハワーは出来ないだろうと語った。だが連合軍最高会議でアイゼンハワーは最終判断として不安ながらわずかな好天の機会を逃さず決行することを告げた。ただちに待機していた部隊に次々と命令が伝達され、空挺部隊は降下の準備を初め、船上の部隊も上陸のための準備に取り掛かった。
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6月6日午前0:11、ノルマンディー上陸作戦は、英軍第6空挺師団ハワード少佐([[リチャード・トッド]])率いる部隊によるグライダー降下で始まった。オルヌ川にかかる橋を確保するため、橋を夜襲で無傷で確保して、昼に海岸からやって来る本隊が合流するまで死守する任務であった。一方レジスタンスのメンバーはフランス国内の通信網の破壊活動に入った。独第7軍参謀総長のペムゼル少将([[ヴォルフガング・プライス]])は、各将軍たちが後方のレンヌで開かれる机上演習に参加することが気になって足止めをさせた。彼は連合軍の上陸がいつも早朝であることを気にしていた。
 
午前1:07、カーン付近に英軍第6空挺師団がパラシュートで降下を開始した。その中には自由フランス軍の部隊もおり、レジスタンスと協力して走って来た軍用列車を爆破した。独軍マルクス大将のもとへ落下傘部隊の降下と同時に、兵士人形を吊り下げたパラシュートが降りてきたことが伝えられて、マルクスは他作戦ともなう陽動作戦ではないかと疑う。さらに、第15軍本部の真上にも落下傘部隊の一部が降りてきて、ドイツ軍将兵の眼前で捕まった。第15軍司令官フォン・ザルムート将軍は戸惑うばかりであった。
 
午前2:03、サン・メール・エグリーゼは交通の要衝で米第82空挺師団の目的地であった。計画では市内ではなく市外に落下傘降下するはずであったが、一部の部隊将兵は飛行機が目測を誤ったことで、市街の中心地に降下してしまう。たまたま町の教会が火事で、住民や消火隊、ドイツ兵が集まっていたところに落下傘兵が降下してくる。ある者は着地した途端にドイツ兵に射殺され、また他の者は教会が燃える炎の中に落ちてしまうなど、教会の前は修羅場と化し多くの落下傘兵が死んだ。バンダーボルト中佐が恐れていた事態であった。第82空挺師団スチール一等兵([[レッド・バトンズ]])は教会の鐘楼に吊るされ引っかかったままになってしまい、死人を装うことで九死に一生を得た。アメリカ空挺師団の落下傘兵の一部はバラバラになり、戦地の真ん中で彷徨うこととなった。その中には第82空挺師団シュルツ一等兵もいた。また米第82空挺師団バンダーボルト中佐は脚を骨折していた。独第7軍参謀総長ペムゼル少将はこの時点で連合軍の上陸はノルマンディーだと結論したが、西部軍参謀総長ブルーメントリット大将から伝えられたルントシュテット元帥は陽動作戦と見てカレーが上陸の目的地と見ていた。しかし念のためベルリンのヨードル上級大将に戦車部隊を動かすため機甲師団の派遣をブルーメントリットから連絡させたが、ヨードルは就寝中のヒトラー総統を起こせず断られた。ブルーメントリットは総統が寝ているために戦車動かせないという事態に、信じられない思いと同時に戦争の敗北をるのであった。
 
ノルマンディーの沿岸砲台で警戒に当たっていた独軍第352師団沿岸砲兵隊指揮官プルスカット少佐([[ハンス・クリスチャン・ブレヒ]])は、夜が明けて海の向こうに信じられないほどの数の艦船が迫っていることを発見して、本部のオッカー中佐 ([[ペーター・ファン・アイク]])に電話で伝えたが、間もなく猛烈な艦砲射撃が始まった。そしていよいよ本隊の上陸が始まった。レジスタンスの破壊工作で電話が通じず、やむなくオッカー中佐は伝令を走らせるが、連合軍の空襲を受けるために街道の移動もままならなくなった。
 
午前6:32、オマハ海岸にコータ准将以下の米軍第29師団が上陸開始。やがて激しい独軍の銃砲撃に海岸から一歩も踏み出せなかった。午前6:44、ユタ海岸に副師団長セオドア・ルーズベルト・ジュニア([[ヘンリー・フォンダ]] )准将以下の米軍第4歩兵師団が上陸。しかしまもなく上陸予定地から2キロ南であったことが分かったがそのまま進軍した。午前6:49、ゴールド海岸とジュノ海岸に上陸した部隊は独空軍2機から空襲を受けた。この時、制空権を失っていた独空軍は[[ヨーゼフ・プリラー]]大佐指揮する2機しか迎えできなかった。午前6:53、スオード海岸にロバット卿([[ピーター・ローフォード]])以下の英軍コマンド部隊が上陸。反撃も無く上陸して、一路オルヌ川で死守する部隊との合流を目指す。英海軍上陸主任モード少佐([[ケネス・モア]])が物資の搬送などを指揮し、その横をフラナガン一等兵 ([[ショーン・コネリー]])が通る。午前7:11、オック岬に米軍レインジャー部隊が上陸。急な岬の崖をよじ登り、砲台に達したが、中に入ってみると砲座がなく無い所ぬけの殻であった敵味方の損失にレンジャー隊員は感無量であった。
 
ベルリンの自宅に戻っていたロンメルは至急の電話でノルマンディー上陸を知って「私が油断した」と呟いた。最高司令部ではヒトラー総統が起きて事態を知り激怒して、ルントシュテットが望む機甲師団の派遣の話が出来ないとの連絡を受けてブルーメントリットは元帥から総統へ直接要請するように進言した。しかし元帥は「ボヘミアの伍長{{efn|第一次世界大戦の折、参戦したヒトラーは当時伍長であった。職業軍人であるドイツ軍将校から見れば、徴募兵に過ぎなかった総統の指揮下にあることに不満があり、そのことを揶揄するために使う言葉であった。この揶揄を初めて使ったのは時の大統領ヒンデンブルクで、ヒトラーを[[ボヘミア]]出身だと勘違いしていたことから。のちに「オーストリアの―」と改めている。なお他の戦争映画でもこの「ボヘミアの伍長」という台詞は使われている。}}に電話など出来ん」と却下した。
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スオード海岸に上陸したロバット卿の英軍コマンド部隊は、バグパイプの音色を響かせながらオルヌ川の橋に達して、英軍第6空挺師団ハワード少佐は任務が達成したことでホッと一息をついた。同じスオード海岸に上陸したフィリップ・キーファ中佐([[クリスチャン・マルカン]])率いる仏軍コマンド部隊はウイストレアム市街に突入して、カジノに閉じこもる独軍と激戦の上に戦車まで投入して攻略した。
 
独第7軍参謀総長ペムゼル少将は「空軍はどこにいるんだ」と嘆くが、しかし彼はオマハで一歩も進めぬ連合軍の動きを見ながら、中央部では依然独軍が支配しており、上陸地点で上陸部隊が釘づけの状態であるのを見て、ロンメルが言った通り、海岸線に上陸部隊を食い止め続ければ上陸作戦を失敗させられることを感じていた。一方オマハ海岸では死屍累々の様相を呈して、撤退を考える将校もいたがコータ准将は頑として受け付けず唯一の突破口での爆破を目指していた。連合軍司令部のロバート・ヘインズ少将([[メル・ファーラー]])とエドウィン・P・パーカー准将([[レオ・ゲン]])は独軍の機甲師団の動きがないことを訝り、オマハ海岸での膠着を心配していた。オマハが失敗すると上陸部隊が分断されてしまうからであった。米軍第82空挺師団バンダーボルト中佐は折れた脚のジャンプブーツの紐をきつく締めさせて、弾薬運搬用の手押し車に乗ってサン・メール・エグリーゼへの道を探しながら進み、やっと街に入って行った。そこで町の真上に降下してしまい、落下傘のコード吊索にぶら下がったまま死んだ空挺兵たちを見て愕然となり、「降ろせ」と命令するのであった。それでも上陸部隊が来るまで街を死守して、犠牲者を乗り越えて進まねばならぬことを訴えた。教会塔から救助されたスチール一等兵は「戦場で見る隊長は別人のようだ」と呟いた。
 
オマハ海岸では工兵のフラー軍曹( [[ジェフリー・ハンター]] )を中心に、突破口となるドイツ陣地の爆破作業を行った。フラー軍曹は鉄条網の爆破には成功するが、コンクリート壁爆破前に戦死してしまう、しかし別の工兵が作業を引き継ぎ、コンクリート壁の爆破に成功し、やっと進撃路が確保され、上陸部隊は雪崩のように突撃していった。この最後の突破の時にコータ准将の副官ニュートン大佐が戦死した。独軍の第84軍団本部では退却のため書類などが焼かれていた。マルクス大将は地図のノルマンディーの文字を眺めながら上陸を食い止められなかったことを悔やんだ。降下してから迷子のように戦場を彷徨った第82空挺師団シュルツ一等兵は、ある農家で墜落負傷した英軍パイロットのデヴィッド・キャンベル([[リチャード・バートン]])と出会い、お互いに戦争の虚しさを感じながら日が暮れていくのを見るのであった。6月6日が終わろうとしていたが、連合軍はノルマンディーに橋頭保海岸堡を確保する事に成功した。
 
激戦で多数の犠牲者を出したオマハ海岸では、コータ准将が緊張からやっと解放されて新しい葉巻きに火を付けて、ジープで海岸から丘へ登って行った{{efn|このラストシーンで初めてバックにミッチ・ミラー楽団が演奏する史上最大の作戦マーチが流れた。}}。