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== 経歴 ==
殷道裕(太常[[殷融]]の子の殷茂の子)の子として生まれた。将来の器量をみこまれて[[司徒]]の[[王謐]]の娘を妻に迎えた。はじめ[[劉毅 (東晋)|劉毅]]の下で後軍参軍をつとめ、[[劉裕]]の下で太尉行参軍となった。劉裕が宋公となると、景仁は宋の秘書郎となった。世子中軍参軍となり、主簿に転じた。さらに[[劉道憐]]の下で驃騎主簿をつとめた。[[衡陽郡]][[太守]]として出向し、宋世子洗馬となり、中書侍郎に転じた。宋の[[永初 (南朝宋)|永初]]年間に太子中庶子となった。
 
[[422年]](永初3年)、[[少帝 (南朝宋)|少帝]]が即位すると、景仁は入朝して[[侍中]]に任じられた。固辞したため、黄門侍郎となった。まもなく射声校尉を兼ねた。ほどなく左衛将軍に転じた。