「山本常朝」の版間の差分

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万治2年(1659年)に、[[佐賀城]]下片田江横小路(現在の[[佐賀市]][[水ヶ江]]二丁目)で、[[佐賀藩]]士山本神右衛門重澄の次男として生まれた。母は前田作左衛門女。
 
常朝が自分の生い立ちのことを語っている項が『葉隠』・聞書第二にあり、それによると、自分は父70歳のときの子で、生来ひ弱くて20歳まで生きられまいと言われたので、塩売りでもやろうと父は思ったが、名付親の[[多久茂富|多久図書]](茂富、重澄の大組頭)の「父の血を受け末々御用に立つ」という取りなしで、初名を松亀と名づけられ、9歳のとき、[[鍋島光茂]](佐賀藩2代藩主)の小僧として召し使われたという。
 
11歳で父に死別し、14歳のとき、光茂の小々姓(いわゆる[[児小姓]]・[[稚児]][[小姓]])となり、名を市十郎と改める。[[延宝]]6年([[1678年]])20歳に[[元服]]して権之丞と改名、御傍役として御書物役手伝に従事する。この年に、[[田代陣基]]が生まれている。