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(新しいページ: 「{{基礎情報 武士 | 氏名 = 多久茂富 | 時代 = 安土桃山時代 - 江戸時代前期 | 生誕 = 天正12年(1584年) | 死…」)
 
| 藩 = [[肥前国|肥前]][[佐賀藩]]
| 氏族 = [[後藤氏]]→[[後多久氏]](多久鍋島家)→[[鍋島氏]]
| 父母 = 父:[[龍造寺家均]]、母:心光院([[龍造寺長信]]の娘)<br />養父:''[[多久安順]]''
| 妻 = 正室:大田茂連の娘
| 子 = [[多久茂辰|茂辰]]
}}
 
'''多久 茂富'''(たく しげとみ)は、[[江戸時代]]の[[武士]]。[[肥前国]][[佐賀藩]]士。多久鍋島家(後多久氏)2代当主茂辰の父。
 
== 略歴 ==
天正12年(1584年)、龍造寺家均(後藤家明)の子として生まれる。父家均は武雄領主[[後藤貴明]]の子で、天正5年([[1577年]])に[[龍造寺隆信]]と和睦の際に隆信の養子となった。
 
[[天正]]16年([[1588年]])母の兄[[多久安順]]の養子となる。部屋住で大組頭となり[[大坂の陣]]にも出陣したが、[[寛永]]5年([[1628年]])養父安順の勘気にふれて義絶し、増田村に蟄居して増田図書と名乗った。後に、藩主[[鍋島勝茂]]より鍋島姓を許され鳥坂村に閑居した。寛永14年([[1637年]])[[島原の乱]]に手勢を率いて出陣。[[寛永]]18年([[1641年]])閑居の身ながら出陣したことを賞され、勝茂より勘気を解かれる。
 
万治2年(1659年)8月14日鳥坂で死去。享年75。茂富は、[[葉隠]]の著者[[山本常朝]]の幼名「松亀」の名付け親で葉隠にも逸話が記載されている。