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*著書においては、それまでの経験論や感覚的な指導指導や練習に疑問を呈し、ヒトとして理に適ったカラダの操り方から発想した上達術や理論「操育」を展開している。
*[[1990年代]]初頭の[[ダイエーホークス]]時代、肩周辺の機能について福岡にある久恒病院の原正文医師に師事。肩周辺の筋機能の調整エクササイズである「インナリング」([[サークルスクラッチ]]等)開発、ホークス投手陣のコンディショニングメニューに組み込み、肩周辺の傷害の発生率を低減することに成功する。※1990年 32%→1992年 6%(%は障害発生によるリタイア=登録抹消率。※手塚一志著[[『肩バイブル』]]15ページより抜粋)。
*[[1993年]]自らホークスを退団し独立起業。このとき自らを[[パフォーマンスコーディネーター]]と名乗り、[[上達屋]]の前身となるアスリートパフォーマンスサポート業をスタート。最初のクライアントは[[桑田真澄]](1994年セントラルリーグMVP・最多奪三振)と[[工藤公康]](1993年パシフィックリーグMVP・最優秀防御率)だった。これまでのトレーナーやコーチの活動とは異なり、選手のパフォーマンス全体つまり心技体を一まとまりととらえ、包括的に引き上げる発想を重視。投げるという行為のパフォーマンス向上・打つという行為自体のパフォーマンス向上のサポート約としてを請け負う活動を始める。
*[[1993年]]に[[大村皓一]]率いる人口技能研究グループに参加し、共同研究を行った結果、ヒト本来の動作の本質であるとする[[新運動原理]](現[[W-スピン]]運動原理)を発見。野球[[W-スピン]]では、脊柱反転運作に精通する以前はアメ(第1スピン)と腕や大腿部の内向きへのネジカ仕込み運動(第2スピン)当時最新と言われた直線連動的な掛け合わせ運動が、腕先や足先に速度を持たせ先端部を走らせる原動力と成り得ると考えるため、従来のマシンやバーベル等を用いた筋力トレーニングは、直線的な動作コンディショニングメニューとして実践していた多用することもあで、筋出力を増強させ。新運動原理効果は期待できるものの、肝心の”巧みさ”発見下支えた以降ているそれ以前トレーニ[[W-スピ]]実践と理論螺旋連鎖運動の効率反省・方向転換し低下させる危険性があると説き、従来考えられてきた直線的なプッシュ&プル動作を多用する筋力トレーニングに否定的、懐疑的な論調を展開。
*その後、この[[W-スピン]]の発想を元に、アスリートのパフォーマンスを向上させる上達メソッド[[クオ・メソッド]]を開発。野球選手のみならず、陸上競技、ラグビー、テニス、ゴルフ、相撲、ボクシング、サッカー、柔道、空手、レスリング、競輪などほとんどのスポーツ種目に転用可能なことを証明していった。野球の動作に精通する以前はアメリカ仕込みの当時最新と言われた直線的な筋力トレーニングをコンディショニングメニューとして実践していたこともある。新運動原理を発見した以降はそれ以前のトレーニングの実践と理論を反省・方向転換し、従来考えられてきた直線的なプッシュ&プル動作を多用する筋力トレーニングに否定的、懐疑的な論調を展開
*[[1995年]]に新たな直球系の球種として[[ジャイロボール]]の存在を提唱。[[2006年]][[松坂大輔]]投手の[[ボストン・レッドソックス|レッドソックス]]入団時にこの魔球を投じるとのうわさが全米を席捲。[[CNN]]を筆頭に、日米の各種メディアが取り上げ、[[ニューヨークタイムス]]でも1面をすべてを使って特集を組んでこの魔球を追いかける騒動に発展した。松坂の代理人であるスコット・ボラス氏は、契約交渉の場に手塚の著した『魔球の正体』を持参し、結果契約金を60億円まで引き上げる交渉条件として使ったと言われている
*[[1995年]]投手の肩と腕のコンディショニングドリル[[サークルスクラッチ]]を考案・発表。後に[[前田健太]]投手がこのドリルを試合中の調整法として採用。いわゆる[[マエケン体操]]である。
*[[1999年]]著書[[『バッティングの正体』]]の中で[[シンクロ打法]]を発表。18m44cm離れている投手と打者の空間に、互いの呼吸を合わせたり外したりする駆け引きの法則[[シンクロニスティック・コーディネーション]]があることを知らしめた。このシンクロ打法を[[松井秀喜]]選手が採用し42HRを記録。一躍ブームに。当時、ジュニアから高校野球、プロ野球に至るまで、この投手とのタイミングが合い打率が上がるとされる打法が大流行した。
*[[2002年]]から2年間、[[阪神タイガース]]の[[田淵幸一]]バッティングコーチの下で打撃指導を行った。その際、下半身からのらせん連鎖運動をバットコントロールに活かす[[うねり打法]]を導入。当時まだブレイク前だった[[今岡誠]]、[[濱中治]]、[[赤星憲広]]らの打力向上に貢献しつながる打線を実現。[[2003年]]の阪神優勝の陰の立役者として一躍注目を集めた。
*[[2004年]]から4年間、広島東洋カープの黒田博樹投手のパフォーマンス・コーディネートを担当。2005年にセントラルリーグ最多勝、2006年に最優秀防御率タイトルに輝く。
 
*[[2009年]]から、ラグビートップリーグ所属のプレーヤーのパフォーマンス・コーディネートを担当。
クボタスピアーズ・東芝ブレイブルーパス・サントリーサンゴリアス・NTTコミュニケーションシャイニングアークス等。その中から、廣瀬俊朗・立川理道の2名の日本代表キャプテンが誕生。
*[[2011年]]楽天ゴールデンイーグルスのパフォーマンス・コーディネーターに就任。
*[[2012年]]から4年間、同志社大学ラグビー部のパフォーマンス・コーディネートを担当。2016年ラグビー大学選手権ベスト4に貢献。
*[[2013年]]から5年間、広島東洋カープの新井貴浩選手のパフォーマンス・コーディネートを担当。2016年にセントラルリーグMVP。
*[[2015年]]から、ボクシングスーパーバンタム級小國以載選手のパフォーマンス・コーディネートを担当。2016年大晦日、ドミニカの怪物の異名を獲るジョナサン・グスマンに勝利し、世界チャンピオンに輝く。
*[[2016年]]大晦日から、広島東洋カープの大瀬良大地投手のパフォーマンス・コーディネートを担当。2018年セントラルリーグ最多勝・最優秀賞率を獲得。
== 指導した主な選手・チーム ==
*[[黒田博樹]]
*[[新井貴浩]]
*[[健太慶幸]]
*[[永川勝浩]]
*[[廣瀬純]]
*[[大瀬良大地]]
*[[堂林翔太]]
*[[栗原健太]]
*[[大塚晶則]]
*[[工藤公康]]
*[[桑田真澄]]
*[[栗原健太]]
*[[英智|蔵本英智]]
*[[土肥義弘]]
*[[星野智樹]]
*[[山口俊]]
*[[廣瀬純]]
*[[松井稼頭央]]
*[[松井秀喜]]