「今いくよ・くるよ」の版間の差分

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* 2015年、第50回大阪市市民表彰を受賞<ref>{{cite web|url=http://www.oricon.co.jp/news/2061414/full/|title=今くるよ、大阪市市民表彰に喜び「いくよちゃんも天国で喜んでる」|publisher=ORICON STYLE|date=2015-10-29|accessdate=2015-10-29}}</ref>。
 
== ・特徴 ==
{{出典の明記|date=2015-05-28 21:40|section=1}}
[[京都明徳高等学校]](当時は明徳商業高等学校)時代、2人共[[ソフトボール]]部に所属していた。いくよが[[中堅手|センター]](キャプテン)、くるよは[[マネージャー]](当初キャッチャー)。3年生の時、全国大会で準優勝。
 
[[1970年]]、OLを辞め、[[島田洋之介|島田洋介・今喜多代]]<!--徹子の部屋2015/2/11-->に弟子入り。弟子入り3ヶ月目、師匠についていった巡業先で急病で出られなくなった女流の[[マジシャン]]の穴埋めで初舞台を踏んだ。その直後の[[うめだ花月]]の公演に「スエ子・正子」のコンビ名で出演<ref>NHKラジオ第1「かんさい土曜ほっとタイム」2016年6月4日</ref>。以降もスポットライトが当たることがなく、[[1980年]]になってようやく[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系「[[花王名人劇場]]」に出演するチャンスを得たものの、吉本興業から「これでウケなかったら最後」と通告されていた。リハーサルやネタ見せの段階では全く受けなかったが、本番になってくるよがお腹を叩いたところこれが受け<!--週刊文春 2015/6/11号-->、2人の漫才はカットされずに全国放送された(このときの他の出演者には[[横山やすし・西川きよし|やすし・きよし]]などの[[大御所]]が並んでいた)。翌日より[[テレビ]]、[[ラジオ]]その他からの出演依頼が殺到。苦難の末、ようやく本格女流[[漫才師]]として日の目を見ることとなった。その後[[1984年]]には[[上方漫才大賞]]を、1988年には[[花王名人大賞スペシャル|花王名人大賞]]を受賞している。
外見のイメージから、いくよがツッコミ、くるよがボケのような印象を持たれがちだが、実際の漫才では逆でいくよがボケ、くるよがツッコミである。共にドスのきいたハスキーボイスであり、声質は似ている。
 
[[1994年]][[9月4日]]に[[関西国際空港]]が開港した際には、前夜[[大阪国際空港]]からの最後の国際線として出発し[[グアム国際空港]]を経由し関西国際空港の到着第1便となる「伊丹からいくよ、関空へくるよ」と銘打った[[日本航空]]のチャーター機に搭乗し、飛行中の機内で漫才を披露した。
師匠や先輩から「女芸人が結婚したら終わり」と冗談交じりに言われた事を守り抜き、いくよは生涯独身を貫いた。結婚予定がどちらもあったが、破談させている。
 
[[2006年]][[10月6日]]、『[[森田一義アワー 笑っていいとも!|笑っていいとも!]]』の[[テレフォンショッキング]]で、[[1984年]][[8月30日]](紹介者:[[田島令子]])以来、丸22年ぶりの出演を果たした(紹介したのは[[友近]])。
太っているくるよと痩せているいくよが、互いの体型や容姿・ファッションをけなし合うネタをよく演じるが、他人に対しては褒めることはあっても悪口を言ったり笑いに使うことはほとんどない。そのため、老若男女を問わず広いファンを持つ。2人が出会って40年以上経過するが、コンビ仲がとても良いことで有名<ref name="sponichi20150529">{{Cite web|url= http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/05/29/kiji/K20150529010438140.html|title=今いくよさん逝く 相方くるよが献身サポート、深かったコンビ仲|publisher=スポーツニッポン |accessdate=2015-05-29}}</ref>。
 
[[2009年]][[9月22日]]、[[なんばグランド花月]]での公演中にくるよが引きつけを起こし倒れ、大阪市内の病院へ緊急搬送された。その後、検査入院となり[[心筋梗塞]]と診断。退院したくるよは12月1日に『[[ラジオよしもと むっちゃ元気スーパー!]]』で復帰を果たす。
共に独身で、男性を中心に後輩芸人の面倒見もよく彼女達を慕う芸人は非常に多い。毎年[[3月3日]]には2人が中心となってベテラン、若手問わずに吉本所属の女性芸人を集めて親睦会が行われる。また後輩芸人、スタッフにニックネームを付ける。
 
師匠や先輩から「女芸人が結婚したら終わり」と冗談交じりに言われた事を守り抜き、いくよは生涯独身を貫いた。結婚予定がどちらもあったが、破談させている。
[[1970年]]、OLを辞め、[[島田洋之介|島田洋介・今喜多代]]<!--徹子の部屋2015/2/11-->に弟子入り。弟子入り3ヶ月目、師匠についていった巡業先で急病で出られなくなった女流の[[マジシャン]]の穴埋めで初舞台を踏んだ。その直後の[[うめだ花月]]の公演に「スエ子・正子」のコンビ名で出演<ref>NHKラジオ第1「かんさい土曜ほっとタイム」2016年6月4日</ref>。以降もスポットライトが当たることがなく、[[1980年]]になってようやく[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系「[[花王名人劇場]]」に出演するチャンスを得たものの、吉本興業から「これでウケなかったら最後」と通告されていた。リハーサルやネタ見せの段階では全く受けなかったが、本番になってくるよがお腹を叩いたところこれが受け<!--週刊文春 2015/6/11号-->、2人の漫才はカットされずに全国放送された(このときの他の出演者には[[横山やすし・西川きよし|やすし・きよし]]などの[[大御所]]が並んでいた)。翌日より[[テレビ]]、[[ラジオ]]その他からの出演依頼が殺到。苦難の末、ようやく本格女流[[漫才師]]として日の目を見ることとなった。その後[[1984年]]には[[上方漫才大賞]]を、1988年には[[花王名人大賞スペシャル|花王名人大賞]]を受賞している。
 
いくよの死去後はくるよがピンで活動しているが、くるよと中川家の3人でユニットを組み、「今くるよ・中川家」「今いくよ・くるよ・くるよ」等の名前で舞台・テレビ出演することがある(剛がいくよ、礼二が「2人目のくるよ」に扮する)。
他にもいくよの厚化粧をネタに、くるよが顔にファンデーションをはたくような仕草や、漫才途中から必ずくるよの派手で大きな衣装がズレてくるので、すそを何度も持ち上げての漫才をする。
 
== 芸風・ネタ ==
[[1994年]][[9月4日]]に[[関西国際空港]]が開港した際には、前夜[[大阪国際空港]]からの最後の国際線として出発し[[グアム国際空港]]を経由し関西国際空港の到着第1便となる「伊丹からいくよ、関空へくるよ」と銘打った[[日本航空]]のチャーター機に搭乗し、飛行中の機内で漫才を披露した。
{{出典の明記|date=2018-11|section=1}}
太っているくるよと痩せているいくよが、互いの体型や容姿・ファッションをけなし合うネタをよく演じが、他人に対しては褒めることはあっても悪口を言ったり笑いに使うことはほとんどなかった。そのため、老若男女を問わず広いファンを持っていた。2人が出会っての親交は40年以上経過するにわたって続いたが、コンビ仲がとても良いよかったことで有名知られていた<ref name="sponichi20150529">{{Cite web|url= http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/05/29/kiji/K20150529010438140.html|title=今いくよさん逝く 相方くるよが献身サポート、深かったコンビ仲|publisher=スポーツニッポン |accessdate=2015-05-29}}</ref>。
 
他にもいくよの厚化粧をネタに、くるよが顔にファンデーションをはたくような仕草や、漫才途中から必ずくるよの派手で大きな衣装がズレてくるので、すそを何度も持ち上げての漫才をする。
[[2006年]][[10月6日]]、『[[森田一義アワー 笑っていいとも!|笑っていいとも!]]』の[[テレフォンショッキング]]で、[[1984年]][[8月30日]](紹介者:[[田島令子]])以来、丸22年ぶりの出演を果たした(紹介したのは[[友近]])。
 
外見のイメージから、いくよがツッコミ、くるよがボケのような印象を持たれがちだが、実際の漫才では逆でいくよがボケ、くるよがツッコミであった。共にドスのきいたハスキーボイスであり、声質は似ている。
[[ダウンタウン (お笑いコンビ)|ダウンタウン]]の[[松本人志]]は、いくよとくるよがどちらか混同するため、「こっちにガーーッて向かってくる方が“くるよ”」と覚えている。(松本出演のラジオ『[[放送室 (ラジオ番組)|放送室]]』より)。ただし、いくよとくるよの名前の由来自体がそもそもそういう意味で付けた可能性が高く、松本独自の覚え方ということでもない。
 
== 人間関係 ==
後輩の面倒見がよく、過去には中川家や[[レギュラー (お笑い)|レギュラー]]、[[ジェットコースター (お笑いコンビ)|ジェットコースター]](解散)、[[ミサイルマン (お笑いコンビ)|ミサイルマン]]らを食事に誘ったり、ラジオに定期的に出演させたりした。
{{出典の明記|date=2018-11|section=1}}
後輩の面倒見がよく、過去には中川家や[[レギュラー (お笑い)|レギュラー]]、[[ジェットコースター (お笑いコンビ)|ジェットコースター]](解散)、[[ミサイルマン (お笑いコンビ)|ミサイルマン]]らを食事に誘ったり、ラジオに定期的に出演させたりした。毎年[[3月3日]]には2人が中心となってベテラン、若手問わずに吉本所属の女性芸人を集めて親睦会が行われていた。また後輩芸人、スタッフにニックネームを付ける
 
[[ダウンタウン (お笑いコンビ)|ダウンタウン]]の[[松本人志]]は、いくよとくるよがどちらか混同するため、「こっちにガーーッて向かってくる方が“くるよ”」と覚えている。(松本出演のラジオ『[[放送室 (ラジオ番組)|放送室]]』より)。ただし、いくよとくるよの名前の由来自体がそもそもそういう意味で付けた可能性が高く、松本独自の覚え方ということでもない
[[2009年]][[9月22日]]、[[なんばグランド花月]]での公演中にくるよが引きつけを起こし倒れ、大阪市内の病院へ緊急搬送された。その後、検査入院となり[[心筋梗塞]]と診断。退院したくるよは12月1日に『[[ラジオよしもと むっちゃ元気スーパー!]]』で復帰を果たす。
 
くるよは風貌が[[フィギュアスケート]]選手の[[鈴木明子]]に似ている。[[バンクーバーオリンピック]]期間中は、なんばグランド花月の楽屋ではこの話題で持ちきりだった。
 
いくよの死去後はくるよがピンで活動しているが、くるよと中川家の3人でユニットを組み、「今くるよ・中川家」「今いくよ・くるよ・くるよ」等の名前で舞台・テレビ出演することがある(剛がいくよ、礼二が「2人目のくるよ」に扮する)。
 
== 持ちネタ ==