「縄文時代」の版間の差分

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=== 名称 ===
[[ファイル:Kaen doki.stl|サムネイル|313x313ピクセル232x232px|長岡市馬高遺跡出土「[[火焔型土器#「火焔土器」と「火焔型土器」|火焔土器]](馬高A式1号深鉢土器)」の3Dデータ]]
「縄文」という名称は、[[エドワード・S・モース]](Edward S. Morse [[1838年]] - [[1925年]])が[[1877年]]([[明治]]10年)に[[大森貝塚]]から発掘した土器を Cord Marked Pottery と報告したことに由来する。この用語は[[矢田部良吉]]により「索紋土器」(さくもんどき)と訳されたが、後に[[白井光太郎]]が「縄紋土器」と改めた。続いて、「[[縄文土器]]」という表記が用いられるようになった。時代の名称が「縄文時代」に落ち着くのは戦後のことである。なお[[佐原真]]はこの語の原義を念頭において「縄紋」という呼称を使用している<ref>[[#sawara1993|佐原、p.10。]]</ref>。
[[ファイル:Middle Jomon Period rope pottery 5000-4000BC.jpg|thumb|150px|縄文土器(縄の文様がついている。)]]