「アーサー・ショーロー」の版間の差分

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1951年、彼はチャールズ・タウンズの妹であるオーレリア・タウンズと結婚し、アーサー・ジュニア、ヘレン、エディスの三子をもうけた。アーサー・ジュニアは[[自閉症]]でほとんど喋れなかった。
 
彼は1951年に[[ベル研究所]]に移り、1961年には[[スタンフォード大学]] <ref>[https://physics.stanford.edu/about/our-history 物理学科]</ref>の教授になった。そして1996年に退官して名誉教授になるまでここで教授を続けた。
 
スタンフォード大学の教授であるショーローと[[ロバート・ホフスタッター]]はともに自閉症児を持ち、互いに助け合った。アーサー・ジュニアは施設に入れられたが、後にショーローは[[カリフォルニア州]][[パラダイス (カリフォルニア州)|パラダイス]]に自閉症児のケア施設を作った。この施設は、彼の死の直前の1999年にアーサー・ショーロー・センターと名づけられた。