「手塚治虫」の版間の差分

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=== 晩年 ===
[[1980年代]]になると、[[幕末]]から明治までの時代に自身のルーツをたどった『陽だまりの樹』(ビッグコミック)や、[[アドルフ・ヒトラー]]を題材に一般週刊誌で連載された『アドルフに告ぐ』([[週刊文春]])など、青年漫画の新たな代表作を手がけることになる{{Sfn|米澤|p=93}}。「陽だまりの樹」は第29回小学館漫画賞、「アドルフに告ぐ」は第10回講談社漫画賞一般部門を受賞したが1988年3月に胃を壊し、一度目の手術を受ける。5月に退院し、以前とまったく変わらない多作振りを見せた。しかし同年[[11月]]、[[中華人民共和国]][[上海市]]でのアニメーションフェスティバルに出席した後に倒れ(制止された際に「これは国際問題です」<ref>{{Cite book|和書|author=手塚治虫、松谷孝征|date=2014年10月|title=手塚治虫 壁を超える言葉|series=|publisher=かんき出版|location=|isbn=|page=第25章)}}</ref>と病身をおして訪れた)、帰国と同時に[[半蔵門病院]]に入院。医師の診断では[[スキルス性[[胃癌]]であった(しかし当時の日本の医療の慣習により、直接本人には告知されなかった)。
 
翌1989年[[1月21日]]に手塚プロ[[社長]]の[[松谷孝征]]が見舞に来た時には、「僕の病状は何なんだ、君聞いてきてくれ」と頼んでいたという。胃癌ということは伏せたうえで聞いた事を話すと「そうか…」と一言言ったという<ref>1989年2月10日放送『おはよう!ナイスデイ』</ref>。100歳まで描き続けたいと言っていた手塚は<ref>[[NHKスペシャル|NHK特集]]『手塚治虫 創作の秘密』([[1986年]][[1月10日]]放送)</ref>、病院のベッドでも医者や妻の制止を振り切り漫画の連載を続けていた。