「アラベラ・ステュアート」の版間の差分

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Takatsuki (会話 | 投稿記録)
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時折アラベラはエリザベス1世の宮廷に招かれたが、しかしほとんどの時間を母方の祖母ベスと暮らして過ごした。 彼女の教育は20代まで続き、彼女はいくつかの言語を学び、[[リュート]]、[[ヴィオラ・ダ・ガンバ|ヴァイオル]]、[[:en:virginals|virginals]]が演奏できた<ref>{{Cite book|last=Lovell|first=Mary S.|author-link=Mary S. Lovell|title=Bess of Hardwick, First Lady of Chatsworth|year=2005|publisher=Little, Brown|pages=408–409}}</ref>。
 
[[1603年]]、スコットランド王ジェームズ6世のジェームズ1世としてのイングランド王位継承後、[[:{{仮リンク|メイン陰謀事件|en:Main Plot|Main Plot]]}}の関係者は彼を打倒してアラベラを王位に就ける陰謀を企てたと言われている。アラベラは[[スペイン]]王[[フェリペ3世 (スペイン王)|フェリペ3世]]から書面で同意して参画するよう誘いかけられたが、しかし、彼女はすぐに勧誘の件をジェームズ1世に報告した<ref>Gristwood, pp. 267–269</ref>。
 
== 結婚交渉 ==