「山岳ベース事件」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m 誤字修正
44行目:
* 植垣康弘 - 赤軍派時代は坂東隊メンバーとして金融機関強盗に関与。本事件においても暴行に積極的に関与。合同軍事訓練後に革命左派のGと恋仲になり総括要求を受けるが暴行を受けるには至らなかった。
* a - 合同軍事訓練直前に合法部から非合法部に移り、本事件に関与。合法部時代は森の秘書的役割を担っていた。
* B - 坂東隊メンバーとして金融機関強盗に関与。坂東隊に合同させた恋人が問題を起こしていたため、一時は赤軍派内でB共々処刑を検討されていた。合流前の赤軍派においては森の批判に反論することもあった。革命左派のD批判を受けてEと共に森の追を受けるようになり、新倉ベースから榛名ベースに移った直後に追を受け暴行により死亡。
* C - 坂東隊メンバーとして金融機関強盗に関与。強盗の際には主に運転手を担った。後に森の追を受け、死亡。
* D - 女性メンバー。当時獄中にあった赤軍派指導部メンバーと内縁関係にあった。中東に渡り後に[[日本赤軍]]を結成した[[重信房子]]の親友でもあった。合同軍事訓練直前に合法部から非合法部に移り、合同軍事訓練中に[[永田洋子]]を中心とした革命左派メンバーによる批判に合い、総括要求を受け、榛名ベースに移った後暴行を受けるに至り死亡。
* E - 合同軍事訓練直前に合法部から非合法部に移る。その受動的な態度を森から批判され、D批判の直後に森によりBと共に総括要求を受け、榛名ベースに移った後暴力的総括要求の対象となり死亡。
 
===革命左派出身メンバー===
* [[永田洋子]] - 革命左派の獄外最高指導者で連合赤軍においても森に次ぐ地位を担った。永田が合同軍事訓練においてD批判をしたことがきっかけで森が「革命戦士の共産主義化」を説くようになり、森の考えに積極的に迎合していき、各メンバーを積極的に追していった。
* [[坂口弘]] - 永田の内縁の夫で革命左派のナンバー2。連合赤軍においてもナンバー3の位置にいた。「暴力的総括要求」に疑問を抱きつつも反論できず、暴行にも加担した。事件の終盤には総括要求されたが事件の終結により暴行を受けるには至らなかった。森と永田の逮捕後に起こしたあさま山荘事件では総大将格を務めた。
* F - 革命左派時代は永田・坂口に次ぐナンバー3にあり、連合赤軍においても指導部メンバーになった。総括対象者に対する暴行にも積極的に関与したが、後に総括要求を受け死亡。
61行目:
* K - 元は合法部メンバーで森から「軍人らしくない」と批判され総括要求を受け、死亡。本事件最初の犠牲者。
* c - 女性メンバー。Fの内縁の妻。事件前から永田にFからの自立を求められており、後にFとの離婚を宣言。
* d - 合同軍事訓練直前にIらとともに逮捕され、Iらが提出した「意見書」にも同意していたがIのように追されることはほとんどなかった。後に脱走。事件終結後出頭。
* e - 森に「若い頃の自分に似ている」と評価され、bらとともに党員候補に指名されるなど信頼されていたが、最初に脱走したメンバーとなった。事件終結後出頭。
* f - 女性メンバー。eとともに名古屋に行きhに直接脱走宣言されるが1人山岳ベースに戻った。
* g - 女性メンバー。追に積極的に加担。Hの代わりに会計係に指名されるなど森の信頼も厚かった。
* L - 元は革命左派メンバーでなくシンパの一人であったが事件直前に仕事を辞めて妻子をつれて入山。後に傍観者的態度を問題視され総括要求を受け死亡。
* h - 女性メンバー。Lの妻。Lに請われて生まれたばかりの子供を連れて入山。Lの死後脱走。事件発覚後出頭。
112行目:
夜の全体会議にて赤軍派は[[松江相銀米子支店強奪事件|米子闘争]]を自己批判。森は革命左派にkの脱走と是政大量逮捕の総括を要求した。
 
[[12月5日]] - 森は革命左派にkの脱走と是政大量逮捕の総括を再度要求する。永田は前日森に指摘していたにもかかわらずDが指輪をしていたことに気づき、他の革命左派メンバーと一緒にDの身なりや闘争に対する姿勢を批判した(D問題){{refnest|group=注釈|元赤軍派メンバーの証言によれば、合法部時代のDは元々質素な格好をしており、それが入山前のDに会った際にいままでしていなかった化粧をするなど見た目に大きな変化があったという。彼はこのことからDの山での派手な身なりは「彼女なりの偽装」だったのではないかと指摘している(連合赤軍事件を残す会編『証言 連合赤軍』)}}。Cが「差し出がましいようですが、何が問題なんですか」と革命左派メンバーに尋ねた他、赤軍派メンバーの多くにはDの何を問題とされているのかがわからなかったという<ref name=":坂東" /><ref name=":森" /><ref name=":植垣" />。最終的に永田は赤軍派批判を始め、「赤軍派は苦労してないのよ」「このままではとても一緒にやっていけない」と言って寝てしまう<ref name=":植垣" />。
 
[[12月6日]] - 赤軍派メンバーのみでD問題を話し合う。森は革命左派のD批判は赤軍派全体に対する批判でもあり、メンバー全体で責任を持って解決していくこと、D自身もこの批判に責任を持って応えていく必要があることを主張。この中で森は革命左派がベースを脱走したメンバーをすでに殺害している([[印旛沼事件]])ことを赤軍派メンバーに明らかにし、これを踏まえて「山を降りたものは殺す」と宣言<ref name=":植垣" />。