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現[[貫主]]は、[[森清範]]が務めている。
 
[[2015年]]には、10年かけて制作された絵巻物「清水寺平成縁起絵巻」が完成し、奉納された<ref>[http://www.kiyomizudera.or.jp/news/2015/04/post-7.html  清水寺の新たな寺宝「清水寺平成縁起絵巻」奉納]清水寺、2015年4月25日</ref>。寺の草創期から「平成の大改修」の完了までの1200年を描いた全巻で、全長65m。作画は日本画家で[[京都嵯峨芸術大学]]名誉教授の箱崎睦昌<ref>[http://www.kyoto-saga.ac.jp/news/25397  4/25~5/13箱崎睦昌名誉教授が制作、奉納した「清水寺平成縁起絵巻」展が清水寺で開催されます。]京都嵯峨芸術大学ニュース、2015年4月7日</ref>。絵絹や裏彩色といった伝統技法を復活させて描かれた。戦火が多く描かれた室町時代の『清水寺縁起絵巻』とは異なり、何度も焼失と再建を繰り返した清水寺を支えた庶民の姿をテーマに描かれた<ref>NHKクローズアップ現代「絵巻がひもとく清水寺~知られざる1200年の歩み」2015年4月23日</ref>。
 
=== 各地の同名寺院 ===
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=== 本堂 ===
国宝。徳川家光の寄進により[[寛永]]10年([[1633年]])に再建されたもの。「清水の舞台」とも呼ばれる。屋根は[[寄棟造]]、檜皮葺きで、正面(南面)左右に入母屋造の翼廊が突き出し、外観に変化を与えている。建物の前半部分は山の斜面にせり出すようにして建てられ、多くの長大な[[ケヤキ]]の柱(139本という)が「舞台」と呼ばれるせり出し部分を支えている(釘は使われていない)<ref>{{Cite book|和書 |author = 新建築社 |year = 2008 |title = NHK 夢の美術館 世界の名建築100選 |year=2008|publisher = [[新建築社]] |page = 28 |isbn = 978-4-7869-0219-2|page=28}}</ref>。このような構造を「[[懸造]](かけづくり)」、あるいは「舞台造」といい、観音菩薩は補陀洛山(ふだらくさん)に現われるという『[[法華経|妙法蓮華経]]観世音菩薩普門品第二十五』(観音経)の所説に基づくものである。なお、同じく観音霊場である長谷寺や石山寺の本堂も同様の「懸造」である。
 
平面は、桁行(間口)9間、梁間(奥行)7間の身舎(もや)が主体部となる(ここで言う「間」は長さの単位ではなく、柱間の数を指す。以下も同)。身舎は奥の梁間3間分が内々陣、その手前の梁間1間分が内陣、内陣のさらに手前の梁間3間分が外陣となる。外陣内部は柱の省略がなく、独立柱が等間隔に立つ。内々陣と内陣の部分を正堂(しょうどう)、外陣部分を礼堂(らいどう)とも称する。一般拝観者が立入りできるのは外陣までである。この9間×7間の主体部の東・西・北面には1間幅の裳階(もこし、差し掛け屋根)をめぐらす。正面にあたる南面は、1間幅の庇を設け、その南には東西端にそれぞれ翼廊(楽舎)を設け、両翼廊の間に舞台を設ける。翼廊部分の屋根は入母屋造、妻入とし、外観に変化を与える。堂の西面にも裳階の外側に翼廊を設け、この部分を車寄と称する。裳階には、正堂部分では局(つぼね、参籠所)などが設けられている。外陣は東・西・南面を1間幅の廊下で囲まれ、外陣・廊下境には蔀戸を吊る。構造的には、礼堂の東と西の廊下は裳階、南の廊下は庇にあたる。裳階、翼廊を含めた平面規模は間口36メートル、奥行31メートルとなる。正堂部分は平坦な地面に建っているが、外陣及びそれより手前の部分は傾斜面に建っており、床下にはケヤキ材の長い柱と貫を縦横に組んで建物を支えている。このうち、もっとも手前(南)に位置し、せり出した舞台を支える6本の柱は平面十六角形で、長さ12メートルに及ぶ。これらの柱や貫は寛永再建時のものだが、舞台の床面の板(ヒノキ材)は、耐用年数が25 - 30年ほどで、たびたび張り替えられている。内々陣には、5間幅の須弥壇を設け、その周囲は床を一段低くし、石敷きの土間となる。須弥壇上には3基の厨子(国宝の附指定)が置かれ、中央の厨子には本尊の千手観音立像、左(向かって右)の厨子には毘沙門天立像、右(向かって左)の厨子には地蔵菩薩立像をそれぞれ安置する。三尊とも秘仏である(本尊については後述)。本尊厨子の左右には千手観音の眷属である[[二十八部衆]]像を安置し、内々陣左右端には風神・雷神像が安置される。<ref>(横山、2008)、pp.81 - 96</ref>
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* 随求堂(ずいぐどう) - 仁王門から参道を進んだ正面に位置する。もとは塔頭慈心院の本堂で、慈心院を中興した僧・盛松により、享保20年([[1735年]])に建立された。本尊は[[大随求菩薩]]像(秘仏)。脇侍として吉祥天立像と毘沙門天立像(重要文化財)を安置していたが、後者は宝蔵殿に移されている。堂の地下の暗闇を歩く「胎内めぐり」が行われている。
 
:随求堂本尊の秘仏[[大随求菩薩]]坐像は、1728年([[享保]]13年)に造られた木彫像で像高110センチ。頭上に宝冠を頂き、8本の腕に[[五鈷杵]]、剣、蛇などの法具などを持つ。光背は円形で[[金泥]]の[[梵字]]が描かれている。これまで展覧会や清水寺境内の他の施設での「出開帳」を除く随求堂内での「居開帳」は、造像以来1754年([[宝暦]]4年)と1796年(寛永8年)の2回だけしか行われてこなかったが、西国三十三所創設1300年を記念して、2018年3月2日から3月18日までと10月5日から10月15日まで、222年ぶりに随求堂内で居開帳する<ref>[http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20180215000145 222年ぶり随求堂で本尊開帳へ 京都・清水寺] 京都新聞 2018年2月15日</ref><ref>[http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20180302000086金色に輝く秘仏、222年ぶり公開 京都・清水寺 ] 京都新聞 2018年3月2日</ref>。
 
* 経堂(重要文化財) - 三重塔の隣に建つ入母屋造、瓦葺きの五間堂。寛永再興時の再建。内部には釈迦三尊像(脇侍は文殊菩薩と普賢菩薩)を安置する。堂は工芸品などの展示場として使用されることもある。
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重要文化財の仏像のうち、千手観音坐像は秘仏、その他の像は宝蔵殿に収蔵され非公開である。本堂本尊の秘仏千手観音像は指定文化財ではない<ref>たとえば、以下の文献で清水寺本堂本尊を「重要文化財の十一面観音像」としているが、事実誤認である。
 
* 村田靖子『もっと知りたい京都の仏像』(里文出版、2007)、p.55
* 『週刊朝日百科』「日本の国宝」70号(朝日新聞社、1998)、p.318</ref>。
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=== その他 ===
* [[算額]] - 明治25年に池内善之助、伊三郎が奉納
* [[清水寺参詣曼荼羅]] - 京都府指定歴史資料([[1997年]]〈平成9年〉3月14日指定)<ref name="Kyoto_pref">{{Cite web|url=http://www.kyoto-be.ne.jp/bunkazai/cms/?page_id=200|title=京都府指定・登録等文化財|accessdate=2015-02-16|publisher=京都府教育庁|accessdate=2015-02-16}}</ref>
<gallery>
Kyoto-015 hg.jpg|朝倉堂