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* 1945年(昭和20年)[[8月8日]] - 千歳町の千歳橋付近と塩浜町の海軍燃料廠付近に模擬原爆の[[パンプキン爆弾]]が投下<ref>商工春秋長期連載の集録四日市歴史浪漫紀行時代を生きた群像の軌跡 72,73頁</ref>。
* [[1951年]](昭和26年)[[1月23日]] - [[在日朝鮮人]]による[[四日市事件]]が発生。
* 1951年(昭和26年)11月 - [[昭和天皇]]が伊勢行幸で市内の四日市奉迎場(東洋紡績四日市工場跡地の北条グランド)・山本重工・[[平田紡績]]・[[東洋紡|東洋紡績]]富田工場・山庄製陶・熊沢製油・[[日本板硝子]]・[[伊藤伝七]]邸・三重郡奉迎場(楠町立楠中学校)・[[四日市港]]を視察。
* [[1960年]](昭和35年) - 海軍燃料廠跡地に日本初の石油化学[[コンビナート]]が稼働。同年より[[1972年]](昭和47年)にかけて公害運動が広がる。石油系企業と化学系企業の[[四日市コンビナート]]より排出された煤煙により、[[公害病#四大公害病|四大公害病]]の一つ、[[四日市ぜんそく]]の被害が広がる。
* [[1972年]](昭和47年) - 公害訴訟で住民側が勝訴。
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