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=== 大学理念 ===
東北大学では、現在「研究第一主義」「門戸開放」「[[実学]]尊重」の3つを大学理念としている。
;研究第一主義
:「研究第一主義」の標語は、[[1911年]]([[明治]]44年)の入学式における式辞で、「…大学の主とするところは研究第一であって…」と初代総長・[[澤柳政太郎]]が発言したことに由来している。先行した東京帝国大学が「官僚養成」を、[[京都帝国大学]]が「学問」を標榜したことから、第三の帝大である東北帝国大学は「研究」を標榜したものと考えられる。こうした研究第一主義の現れとして、全国の[[国立大学]]附置研究所の中で最も古い歴史を有する附置研究所の一つである[[金属材料研究所]](設置当時の研究所名は臨時理化学研究所第2部)を擁すること、[[第二次世界大戦]]時には附置研究所が10を数えた時期があること等が挙げられる。なお、1998年([[平成]]10年)-2008年(平成20年)の[[帝国大学#論文の引用動向|論文の被引用数]]では日本国内で第4位(世界第64位)<ref>[http://www.thomsonscientific.jp/news/press/esi2009/ranking.html 日本の論文の引用動向 1998-2008] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20100416033932/http://www.thomsonscientific.jp/news/press/esi2009/ranking.html |date=2010年4月16日 }}([[トムソン・ロイター]])</ref>、[[帝国大学#研究費|2005年度の主要研究経費]]は約260億円で、日本国内で第2位となっている<ref>[http://www8.cao.go.jp/cstp/siryo/haihu60/siryo3-4-1.pdf 国立大学法人等の科学技術関係活動に関する調査結果]([[内閣府]]・科学技術政策担当)</ref>。
;門戸開放
:東北帝国大学創設当初、既設の[[帝国大学]]が[[旧制高等学校]]出身者にのみ入学を認めていたのに対して、東北帝国大学は旧制高等学校以外の教育機関出身者にも入学を認めた(傍系入学)。また、[[1913年]]([[大正]]2年)には3人の女性([[黒田チカ]]、[[丹下ウメ]]、[[牧田らく]])に対して入学を許可しているが、た。これは帝国大学としては初めての女性に対する入学許可であった<ref>{{cite web
|url = http://www.morihime.tohoku.ac.jp/100th/rekishi.html
|title = 女子学生の歴史
|author = 東北大学 女子学生入学百周年記念事業
|accessdate = 2016-02-15
}}</ref>。さらに、日本における外国人[[留学生]][[博士号]]取得第一号([[中華民国]]の[[陈建功]])と第二号([[苏步青]])を輩出するなど、東北帝国大学時代より外国人留学生が数多く本学で学んできた。このような経緯のもとに、現在では「門戸開放」のフレーズは、「学生・教員・職員を問わず真に実力のある者はそのバックグラウンドにかかわらず受け入れる」という東北大学の方針を一言で表すための標語となっている。また、[[雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律|男女雇用機会均等法]]の改正を受け、[[杜の都]]女性科学者ハードリング支援事業やサイエンスエンジェル制度も導入されている。2014年には、男女共同参画社会を目指す活発な取組の一助となるよう、[[澤柳政太郎記念東北大学男女共同参画賞]](通称:澤柳記念賞)が創設された。現在の学部学生は、[[東北地方]]以外の出身者が過半数を占めており<ref>[http://www.bureau.tohoku.ac.jp/koho/pub/gaiyou/gaiyou2008/ja/pdf/2008p32.pdf 東北大学概要 2008](東北大学)</ref>、旧帝国大学の中では地元以外からの入学者比率が高い方である([[帝国大学#入学状況|参照]])。
;実学尊重
:東北大学では創設以来、社会で実用される研究が奨励されてきたことに加え、大学での研究に端を発した企業が複数設立されてきたなど、実学が大変重視されている。その伝統は、2007年(平成19年)の[[帝国大学#特許|大学別特許公開件数]]で日本国内1位<ref>[http://www.jpo.go.jp/shiryou/toushin/nenji/nenpou2008/toukei/02-13.pdf 2007年国内大学別特許公開件数]([[経済産業省]][[特許庁]])</ref>であるところにも現れており、これは、[[自然科学]]のみならず、[[人文科学]]および[[社会科学]]の学問分野においても根付いている。
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[[QS世界大学ランキング]]2019(2018年)では、第77位、アジア第19位、国内第5位である<ref>
[https://www.topuniversities.com/university-rankings/world-university-rankings/2019 QS World University Rankings 2019 <nowiki>|</nowiki> Top Universities]
</ref>。また、英[[タイムズ]]紙系の教育専門誌[[タイムズ・ハイアー・エデュケーション]]による世界大学ランキング2019(2018年)では、第251-300位、アジア第28位、国内第3位である<ref group="*">
[https://www.timeshighereducation.com/world-university-rankings/2019/world-ranking#!/page/0/length/-1/sort_by/rank/sort_order/asc/cols/stats World University Rankings 2019 <nowiki>|</nowiki> Times Higher Education (THE)]
{|class="wikitable" style="text-align:center"
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|image4 = [http://webdb3.museum.tohoku.ac.jp/tua-photo/photo-img-b.php?id=C002815&instg=03&areag=&sbjg=&yrsg= 東北帝国大学工学専門部正門および校舎]:大正期前半
}}
[[1900年]](明治33年)1月29日、第14回[[帝国議会]]において「九州東北帝国大学設置建議案」が採択され、議会として東北地方に[[帝国大学]]を設置する正式な要望が政府に表明された。しかし、政府の資金難により設置が進まず、[[1902年]](明治35年)にも「東北帝国大学設立建議案」が再度採択された。[[1906年]](明治39年)、[[札幌農学校]]を帝国大学農科大学に昇格させ、新設予定の理工科大学と大学予科と併せて北海道帝国大学とする案が浮上するも、東北選出の[[衆議院|代議士]]が反発。その結果、新設予定の理科大学を仙台に置く折衷案を政府に要求することとなった<ref>東北大学金属材料研究所(編)(2016)片平の散歩道 金研百年の歩みとともに』[[河北新報]]出版</ref>。
 
[[日露戦争]]の好景気で財を成した[[古河財閥]](現・[[古河グループ]])から寄付があり、その一部と宮城県の寄付金等を併せて、1907年(明治40年)6月22日の[[勅令]]第236号により、仙台市に本部を置く東北帝国大学(本部:[[仙台市]])が創設された<ref name="ImperialOrdinance236">[http://hourei.ndl.go.jp/SearchSys/viewEnkaku.do?i=CfOAThgIxhh%2fQhYwLOJb6w%3d%3d 東北帝国大学ニ関スル件(明治40年6月22日勅令第236号)]([[国立国会図書館]]「日本法令索引」)</ref><ref name="NDL236">[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/788052/352 東北帝国大学ニ関スル件](国立国会図書館デジタルコレクション)… 6月21日公布、9月1日施行</ref>(創立記念日)。また同勅令により札幌農学校を東北帝国大学農科大学([[札幌市|札幌区]])とすること、当面は農科大学学長が東北帝国大学総長を代行することになり、同年[[9月1日]]より施行された<ref name="ImperialOrdinance236"/><ref name="NDL236"/>。前身を持たない理科大学はその新設のため校舎の建設や実験機器・専門書の輸入などの準備がなされ、また、教授候補が選ばれてヨーロッパ各地に留学した(留学中に[[フランス]]の首都[[パリ]]に集まって理科大学[[教授会]]も開催した<ref name="ArchivesNews04">{{PDFlink|[http://www2.archives.tohoku.ac.jp/hensan/news/news04.pdf 東北大学百年史編纂室ニュース 第4号]}}(東北大学百年史編纂室 1999年8月31日)</ref>。準備も整った[[1911年]](明治44年)1月に理科大学が設置された(同月、九州帝国大学も創設)<ref>[http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317632.htm 一 帝国大学の発足と拡充](文部科学省「学制百年史」)</ref>。開学式は[[1913年]](大正2年)9月22日に挙行された<ref>[http://www2.archives.tohoku.ac.jp/tenji/old-univ.html 東北大学史料館「第1展示室 東北帝国大学」] 2016年6月13日閲覧。</ref>。この他、[[1912年]](明治45年)に[[仙台医学専門学校]]を包摂して医学専門部を設置、および。また、[[仙台高等工業学校]]を包摂して工学専門部を設置した。
 
仙台医学専門学校は、[[1872年]](明治5年)設立の宮城県立医学所を母体とするものであり、東北大学医学部ならびに艮陵(ごんりょう)同窓会<ref>[http://www.med.tohoku.ac.jp/gonryo-alumni/index.html 東北大学艮陵同窓会](2018年11月25日閲覧)。</ref>では、1872年(明治5年)を医学部開設年(母校創立の日)と定めている<ref>[http://www.med.tohoku.ac.jp/gonryo-alumni/aisatsu.html 「会長挨拶」東北大学艮陵同窓会] 2016年6月13日閲覧。</ref>。かつては「[[明倫養賢堂]]」から仙台藩医学校が分離された1817年を医学部創立の起点とする主張もあったが、今日では、医学系部局に関しては1872年を創立の起点として位置づけるのが一般的である<ref>[http://www.med.tohoku.ac.jp/logo/index.html 「ロゴマークについて」東北大学大学院 医学研究科・医学部] 2016年6月13日閲覧。</ref>。
 
[[1915年]](大正4年)、医学専門部は生徒募集を停止し、東北帝国大学医科大学が設置された。新入生は医科大学、以前からの在校生は医学専門部のままという状態であったが、施設は双方とも仙台医学専門学校以来の施設を流用した。ただし、医科大学には新たに先行帝国大学の[[東京大学|東京帝国大学]]卒・[[京都大学|京都帝国大学]]卒の人材を[[教授]]として招聘した。1918年に医学専門部の最後の学年が卒業すると医学専門部は廃止された。そのため、医学専門部の一部の教授らは異動を余儀なくされ、他都市の[[医学専門学校]]へと移っていった。<!--第二高等中学校医学部長兼宮城県病院長、仙台医学専門学校校長、東北帝大医学専門部主事、東北帝大医科大学の初代学長を歴任した山形仲芸のように、高度な西洋医学の知識がある者は引き続き東北帝大に残った。-->
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[[大学令]]公布に伴う各帝国大学の分科大学制から学部制への改組に先立って、仙台市(理大・医大・工専)と札幌区(農大)に分かれている東北帝国大学の分科大学および専門部を各都市毎に分立させることになり、1918年、[[北海道帝国大学]]新設と同時に農科大学を移管した。
 
[[1919年]](大正8年)、学部制に改組すると同時に東北帝国大学工学部が設置された(このときの学部構成は理学部医学部工学部工学専門部)。工学専門部では、医学専門部と同様に廃止されるとの危惧から存続運動が起こった。結果的に工学専門部は、仙台高等工業学校以来の建物等を東北帝国大学工学部に譲り、別の土地に建物を新設して、元の仙台高等工業学校との名称で分離独立した(のちに仙台工業専門学校と改称)。
 
[[1922年]](大正11年)、法文学部が設置された。同学部は帝国大学の文系学部としては東京・京都に次いで3番目の設置であり、現在の文系4学部の礎をなす学部である。ちなみに、第二次世界大戦前の帝国大学では、北海道・[[大阪大学|大阪]][[名古屋大学|名古屋]]以外の6大学(東京・京都・東北・[[九州大学|九州]][[京城帝国大学|京城]][[台北帝国大学|台北]])に文系学部が設置されていた。ただし、戦前に法学部、文学部、経済学部の分立設置が認められたのは東京・京都のみで、他の大学は法文学部(東北・九州・京城)や文政学部(台北)などの学際学部であった。
 
[[1947年]](昭和22年)に東北帝国大学は「東北大学」に改称。[[1949年]](昭和24年)に実施された[[学制改革]]に伴い、仙台市所在の[[官立]]学校([[第二高等学校 (旧制)|旧制第二高等学校]]仙台工業専門学校[[宮城師範学校]][[宮城青年師範学校]])を統合[[宮城県女子専門学校 (旧制)|旧制宮城県女子専門学校]]を包括したうえで[[新制大学]]へと改組された。これら高等教育機関は、旧制第二高等学校が[[教養部]]へ、仙台工業専門学校が[[工学部]]と合流、両師範学校は[[教育学部]]へ、宮城県女子専門学校は[[農学部]][[家政学科]]へとなった。家政学科は生活科学科と改称後、[[1960年]](昭和35年)に廃止された。
 
[[1965年]](昭和40年)、国立学校設置法改正を期に、師範学校の流れを汲む教育学部の教員養成系統が分立し、[[宮城教育大学]]が設置された。[[1967年]](昭和42年)には、[[宮城教育大学附属中学校|東北大学教育学部附属中学校]]・[[宮城教育大学附属小学校|小学校]]および[[宮城教育大学附属幼稚園|幼稚園]]を宮城教育大学に移管した。
 
[[1994年]](平成6年)からは[[大学院重点化]]を開始した。また、[[2004年]](平成16年)の[[国立大学法人]]化を期に、[[法科大学院]][[公共政策大学院]][[会計大学院]]の3つの[[専門職大学院]]を設置した。現在は[[青葉山 (仙台市)|青葉山]]新キャンパスの具体化やその他の改革を行っている。
 
=== 創立以前 ===
*[[1736年]]([[元文]]元年) [[仙台藩]]が[[藩校]]として[[明倫養賢堂]]を設置。
*[[1760年]]([[宝暦]]10年) 明倫養賢堂で医学教育が開始される。
*[[1817年]]([[文化 (元号)|文化]]14年) 明倫養賢堂から仙台藩医学校を分離。
*[[1822年]](文政{{0}}5年) 仙台藩は仙台藩学校蘭科を開設し、日本初の[[西洋医学]]講座を実施。
*[[1869年]](明治{{0}}2年) 仙台藩医学校を施薬所と改称。
*[[1872年]](明治{{0}}5年) - [[東京府]]・[[芝 (東京都港区)|芝]]の[[増上寺]]内に[[開拓使]]仮学校設置。 [[仙台県]]が[[宮城県]]へと改称されたのに伴い、施薬所を母体に宮城県立医学所となる。同年中に宮城県立医学所は廃止され、[[共立病院]]附属学舎へと改組
*[[1873年]](明治{{0}}6年) 共立病院附属学舎は共立義塾と改称ののちに解散、1872年に設立されていた共立病院附属塾舎と統合
*[[1875年]](明治{{0}}8年) - [[北海道]][[石狩国]][[札幌郡]][[札幌市|札幌]]に開拓使仮学校札幌学校が発足する。
*[[1876年]](明治{{0}}9年) - 開拓使仮学校札幌学校を[[札幌農学校]]と改称。7月に[[ウィリアム・スミス・クラーク|クラーク博士]]が教頭就任。8月14日札幌農学校開校式挙行。
*[[1878年]](明治11年) - 札幌農学校演武場(現在の[[札幌市時計台]])が竣工。
*[[1879年]](明治12年) 共立病院は同年中に仙台公立病院、宮城病院と順次改称、共立病院附属塾舎は最終的に宮城病院附属医学校へ改組
*[[1880年]](明治13年) 宮城病院附属医学校を宮城医学校と改称(1881年に元の名称に戻るも1882年に再度宮城医学校となる)
*[[1887年]](明治20年) 宮城医学校を母体に[[第二高等学校 (旧制)|第二高等中学校]]医学部を設置。
*[[1886年]](明治19年) - 札幌農学校植物園が竣工。
*[[1894年]](明治27年) 第二高等中学校は学制改革に伴い第二高等学校へ改組。佐藤昌介が札幌農学校校長に就任する。
*[[1901年]](明治34年) 第二高等学校医学部を母体に[[仙台医学専門学校]]を設置。
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=== 東北大学時代 ===
*[[1947年]](昭和22年) [[農学部]]を設置。東北大学へと改称。
*[[1949年]](昭和24年) [[学制改革]]に伴い、仙台市所在の官立学校([[第二高等学校 (旧制)|第二高等学校]][[仙台高等工業学校|仙台工業専門学校]][[宮城師範学校]][[宮城青年師範学校]])を統合し、[[宮城県女子専門学校 (旧制)|宮城県女子専門学校]]を包括して新制大学へ改組。法文学部を[[法学部]][[文学部]][[経済学部]]へ改組。[[教育学部]]を設置。
*[[1953年]](昭和28年) [[大学院]]設置(文学研究科教育学研究科法学研究科経済学研究科理学研究科工学研究科農学研究科)。
*[[1955年]](昭和30年) 大学院医学研究科設置。
*[[1957年]](昭和32年) 進駐軍・川内キャンプ(旧[[仙台城]]二の丸)の跡地を取得し、川内キャンパスとする。
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*[[2008年]](平成20年)10月 東北大学記念講堂(川内記念講堂)および松下会館を[[東北大学百周年記念会館]](通称「川内萩ホール」)として改修。
*[[2009年]](平成21年)4月 日本国内では初となる[[医工学]]研究科を設置
*[[2012年]](平成24年)1月 東北大学が運営を委託された[[大学入試センター試験]][[気仙沼市|気仙沼]]会場にて、事前確認の不徹底により、英語リスニング試験に使用する[[ICプレヤー]]が200個不足するミスが発生し、到着して試験開始するまで受験生を2時間も待たせた失態が発生した<ref>【河北新報】2012年1月15日[http://www.kahoku.co.jp/news/2012/01/20120115t13021.htm 「センター試験 リスニング2時間遅れ 気仙沼会場に機器届かず」]</ref><ref group="※">なお、この時の大学入試センター理事長は、元東北大学総長の[[吉本高志]]</ref>。
 
=== 東日本大震災の影響 ===
*[[2011年]](平成23年)[[3月11日]]の[[東日本大震災]]([[東北地方太平洋沖地震]])で女子学生2名と入学予定の女子高校生1名が[[津波]]に呑まれ死亡し、卒業生にも多数の死者・行方不明者が出た。また教職員・在校生の大半が被災し、沿岸部に住む者の中には住居を失った者も少なくなかった。各キャンパスも震度6強・6弱の烈震に見舞われ、さらにその後も震度5クラスの強い余震が多発。これにより、大学の各施設や研究設備は過去に例がないほどの甚大な被害を受けた。一部では割れた薬品が反応して火災も発生したが、初期消火で建物全体が燃えることはなかった。
*大学当局は復旧に追われ、12日に予定されていた後期試験を中止。[[大学入試センター試験]]の点数で合格者を決める異例の措置を採った。さらに卒業式も中止され、入学式・授業開始も5月初旬へ1カ月延期された。5月に行われた入学式は、宮城県内の主要なホールが震災の影響で使用できなかったため、各学科・研究科の建物内でオリエンテーションとして行われた。
*被災して著しく損傷した川内キャンパス川内合同研究棟塔屋も2011年(平成23年)7月に取り壊された。
 
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==== 学生歌・校友歌 ====
東北大学には正式な校歌・学歌が存在せず、代わりに学生歌と校友歌が制定されている。
*学生歌『青葉もゆるこの[[みちのく]]』作詞:[[野田秀]] 作曲:[[阿座上竹四]]
:新制第1回卒業生が社会人になった1953年(昭和28年)、学生部の公募により、まず歌詞を募集し、入選歌詞3編に対して作曲を募集する手順で作られた中の第1位である。現在でも歌われているのは本曲のみである<ref>[http://www.tohoku.ac.jp/japanese/profile/about/03/about0302/ 学生歌 | 東北大学について | 大学概要]</ref>。
:作詞した野田は卒業後に牧師となり、作曲した阿座上(工学部)は、東北大の教授を経て[[埼玉工業大学]]の教授となっている<ref>[http://kaken.nii.ac.jp/d/r/50006029.ja.html 阿座上 竹四(50006029) 科学研究費助成事業データベース]</ref>。
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<div style="float:left;vertical-align:top;white-space:nowrap;margin-right:1em">
*歯学部
**[[歯科技工士]]学校
*法学研究科
**法政実務教育研究センター
664行目:
*工学研究科
**先端材料強度科学研究センター<ref group="※">東北大学大学院工学研究科附属先端材料強度科学研究センター内規によると、エネルギー・環境材料強度信頼性科学研究部門、次世代エネルギーシステム研究部門、材料機能・信頼性設計評価研究部門、非破壊情報計測・評価研究部門、電力エネルギー未来技術共同研究部門を置いている。</ref>
**[超臨界流体|[超臨界]][[溶媒]]工学研究センター<ref group="※">東北大学大学院工学研究科附属超臨界溶媒工学研究センター内規によると、溶媒要素技術部、システム開発部を置いている。</ref>
**マイクロ・ナノマシニング研究教育センター
*農学研究科
**複合生態フィールド教育研究センター<ref group="※">東北大学大学院農学研究科附属複合生態フィールド教育研究センター内規によると、複合生態フィールド制御部、複合陸域生産システム部、複合水域生産システム部を置いている。複合陸域生産システム部は、実習[[農場]]で、通称「川渡フィールドセンター」。[[宮城県]][[大崎市]][[鳴子温泉]]字蓬田232-3に所在する。[[大日本帝国陸軍|陸軍]][[軍馬]]補充部に由来する。東北大学の所有する敷地面積の約96%を占める。農場内には農場本館の他にセミナーセンターを併設し農学部・農学研究科以外からも多くの学生が様々な用途で使用することができる。アクセスは[[東日本旅客鉄道|JR]][[陸羽東線]][[川渡温泉駅]]より徒歩で約40分となっており、東北大学農学部の本部所在地である仙台市青葉区雨宮からはJRで約1時間半([[仙山線]][[東北本線]]・陸羽東線利用)車で約2時間を要する。農場内には実験用の田畑以外に[[演習林]][[牧場]]、各種施設等、実に多様な施設が併設され様々な実験・演習・試験などが行われている。農学部・農学研究科の学生も数多く利用しており、学部生はカリキュラムによってはここを訪れることになる。</ref>
**先端農学研究センター<ref group="※">東北大学大学院農学研究科附属先端農学研究センター内規によると、循環システム開発部門、植物資源開発部門、食品機能開発部門を置いている。</ref>
*国際文化研究科
**言語脳認知総合科学研究センター
*生命科学研究科
**浅虫海洋生物学研究センター([[青森県]][[青森市]]東部の[[浅虫温泉]]近くに所在)<ref>[http://www.biology.tohoku.ac.jp/lab-www/asamushi/ 東北大学大学院生命科学研究科附属浅虫海洋生物学研究センター](2018年11月25日閲覧)。</ref>
**浅虫海洋生物学研究センター
</div>{{clear}}
 
680行目:
**量子エネルギー材料科学国際研究センター
**新素材共同研究開発センター
**強磁場[[超伝導]]材料研究センター
**関西センター
**先端エネルギー材料理工共創研究センター
695行目:
**二十一世紀情報通信研究開発センター
*多元物質科学研究所(多元研)<ref group="※">東北大学多元物質科学研究所規程によると、研究部門として、有機・生命科学研究部門、無機材料研究部門、プロセスシステム工学研究部門、計測研究部門を置いている。このほか、共通研究施設、工場、技術室を置いている。</ref>
**[[持続可能性|サステナブル]]理工学研究センター
**先端計測開発センター
**高分子・ハイブリッド材料研究センター
716行目:
*東北アジア研究センター<ref group="※">東北大学東北アジア研究センター規程によると、基礎研究部門、プロジェクト研究部門、研究支援部門を置いている。</ref>
*電子光理学研究センター<ref group="※">東北大学電子光理学研究センター規程によると、加速器ビーム物理研究部、核物理研究部、光量子反応研究部を置いている。</ref>
*[[ニュートリノ]]科学研究センター<ref group="※">東北大学ニュートリノ科学研究センター規程によると、ニュートリノ物理研究部、極低放射能科学研究部を置いている。</ref>
*高度教養教育・学生支援機構
*:高等教育開発推進センター、国際交流センター、国際教育院、グローバルラーニングセンター、教養教育院、高度[[イノベーション]]博士人財育成センターを統合し、2014年4月に設置。高等教育開発部門<ref group="※">東北大学高度教養教育・学生支援機構規程によると、入試開発室、高等教育開発室、国際化教育開発室、キャリア開発室を置いている。</ref>、教育内容開発部門<ref group="※">東北大学高度教養教育・学生支援機構規程によると、人間総合科学教育開発室、自然科学教育開発室、言語・文化教育開発室を置いている。</ref>、学生支援開発部門<ref group="※">東北大学高度教養教育・学生支援機構規程によると、臨床教育開発室、臨床医学開発室を置いている。</ref>、業務センターを置いている。
*学際科学フロンティア研究所<ref group="※">東北大学学際科学フロンティア研究所規程によると、企画部、先端学際基幹研究部、新領域創成研究部を置いている。さらに先端学際基幹研究部および新領域創成研究部に、物質材料・エネルギー研究領域、生命・環境研究領域、情報・システム研究領域、デバイス・テクノロジー研究領域、人間・社会研究領域、先端基礎科学研究領域を置いている。</ref>
*学術資源研究公開センター
725行目:
**史料館
*教育情報基盤センター<ref group="※">東北大学教育情報基盤センター規程によると、情報教育部門、メディア教育部門、遠隔教育部門、基盤技術部門を置いている。</ref>
*[[サイクロトロン]][[放射性同位体|ラジオアイソトープ]]センター<ref group="※">東北大学サイクロトロン・ラジオアイソトープセンター規程によると、加速器研究部、測定器研究部、核薬学研究部、サイクロトロン核医学研究部、放射線管理研究部を置いている。</ref>
*未来科学技術共同研究センター (NICHe)
*:東北大学と産業界との共同研究機関。通称 NICHe。現在20の研究プロジェクトが進行している。研究部門のほかに開発企画部もあり、研究企画・コーディネートなどの窓口(ワンストップ・ソリューション)機能を持つ。
744行目:
*男女共同参画推進センター
 
=== その他<ref group="※">国立大学法人東北大学規程集による。2015年度版の東北大学概要によると、マイクロシステム融合研究開発センター、省エネルギー・[[スピントロニクス]]集積化システムセンター、電気通信研究機構、材料科学共同研究センター、国際集積エレクトロニクス研究開発センター、産学連携先端材料研究開発センター、[[レアメタル]]・グリーンイノベーション研究開発センター、災害復興新生研究機構も記載されている。</ref> ===
*高等研究機構
**原子分子材料科学高等研究機構
**先駆的な研究領域を創出するための活動を推進するセンター
*情報シナジー機構
*東北メディカル・メガバンク機構<ref group="※">東北大学東北メディカル・メガバンク機構設置規程によると、研究部、広報・企画部門、事務部門を置いている。さらに研究部は、地域医療支援部門、[[予防医学]][[疫学]]部門、バイオバンク部門、[[ゲノム]]解析部門、医療情報ICT部門、人材育成部門構成されている。</ref>
*イノベーション戦略推進本部
*国際連携推進機構
760行目:
*2002年度
:;生命科学
:*バイオ[[ナノテクノロジー]]基盤未来医工学
:;化学・材料科学
:*大分子複雑系未踏化学
770行目:
*2003年度
:;医学系
:*[[シグナル伝達]]病の治療戦略創生拠点
:;数学・物理学・地球科学
:*物質階層融合科学の構築
832行目:
 
==== 東北大学インターネットスクール ====
東北大学インターネットスクール (ISTU, Internet School of Tohoku University) は、主に東北大学大学院に所属する[[社会人]][[大学院生]]のために、[[インターネット]]で講義を[[ストリーミング]]提供している[[eラーニング]]システムである。ISTU では実際の講義で使用された[[パワーポイント|スライド]]や、配布資料をインターネットで閲覧しながら、セミナーナウと呼ばれる講義の[[ムービー]]を見ることができる。また、[[レポート]]の提出、復習、採点、受講管理、単位取得など実際と同じように学習できるよう工夫されている。時間や場所にとらわれずに、講義の臨場感を体験しながら、繰り返し受講できることが最大の[[メリット]]である。他にもインターネットならではの機能が充実し、[[情報技術|IT]]教育や知識の[[ネットワーク]]化など大学教育の情報化を進めている。世界中どこにいても講義が受けられるため、すでに[[医者]]として働いていて[[博士号]]を取りたい者が中心的な利用者となっているが、社会人を受け入れている多くの学部で講義の[[コンテンツ]]化が進んでいる。さらに、大学内の講義の補助としても一部利用されている。また、特別講義などについては一般にも視聴が開放されている。
 
== 学生生活 ==
=== スポーツ ===
[[画像:Tohoku University Human powered aircraft.jpg|thumb|300px|[[スリーエム ジャパン|スリーエム]][[仙台市科学館]]3階に常設展示されている、東北大学Windnautsの「鳥人間コンテスト選手権大会」2011年&2012年の優勝機体(復元)<ref>[http://www.dream.mech.tohoku.ac.jp/move/141201/index.html 東北大学Windnautsが2011年、2012年の鳥人間コンテスト優勝機体を復元。スリーエム仙台市科学館において11月29日(土)より展示がスタートしました](東北大学工学部 2014年12月1日)</ref>。]]
*[[東北大学 Windnauts|Windnauts]] は、[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]主催「[[鳥人間コンテスト選手権大会]]」の人力[[プロペラ機]]ディスタンス部門において、6回優勝している(2015年現在)。また、大会最高記録も残している。
*[[東北大学硬式野球部|硬式野球部]]は[[仙台六大学野球連盟]]に加盟している。
*[[東北大学漕艇部|漕艇部]]は、1895年(明治28年)の旧制二高水上運動部設立まで遡る。1960年(昭和35年)には在学生が男子エイトの日本代表クルーとして[[ローマオリンピック]]に出場している。
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=== 他 ===
*[[帝国大学]]は東大』『」「京大』『」「九大』『」「北大』『」「[[京城帝国大学|城大]]』『」「[[台北帝国大学|台大]]』『」「阪大』『」「名大というふうに一字に略して表記できるが、東北大学のみこうした漢字一字+大スタイルの略称が無い。ただし、東北地方では麻雀の牌の呼び方にちなんだトンペイという呼び名で呼ばれることがある。なお異称として「東北の丘」を意味する「[[艮]]陵(ごんりょう)」があり、主に医学部の関連団体に使われている<ref>[http://nosumi.exblog.jp/1046743/ 艮陵の謂われ : 大隅典子の仙台通信] - [[大隅典子]]のブログ</ref>。
*東北大学[[白菊会]] - [[献体|篤志献体]]組織。慰霊祭はかつて[[松音寺]]において仏式で行っていたが、[[1978年]]([[昭和]]53年)からは特定の[[宗教]]に拠らない医・歯学部合同慰霊祭の形で川内記念講堂(現・[[東北大学百周年記念会館]])で開催している<ref name="NZ">[http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/1996/00999/contents/070.htm 東北大学・東北大学白菊会献体36年]([[日本財団]]図書館)</ref>。[[無縁仏]]の[[遺骨]]は[[1982年]]([[昭和]]57年)に[[仙台市葛岡墓園]]に設けられた「東北大学[[納骨堂]]」に納めている<ref name="NZ"/>。
 
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==== 片平キャンパス ====
[[画像:Katahira head office.png|thumb|240px|本部棟(片平キャンパス)]]
片平キャンパスは研究所や大学本部を中心としたキャンパスである。仙台市中心部という立地から市民との交流の場として位置付けられており、さまざま様々な公開行事に用いられる他、春には[[花見]]客で賑わう。2007年には百周年記念行事の会場としても用いられた。
 
また、東北大学で最も古いキャンパスであるため歴史的価値のある建築物が現存している。その一つ、仙台医学専門学校に留学した[[魯迅]]が学んだ「階段教室」は中国人にも知られており、[[1998年]][[11月29日]]に[[江沢民]]・[[中華人民共和国主席]](当時)も公式訪問した。なお、同教室周辺は現在、フェンスによって立ち入りが規制されており、見学には1週間前までの事前申請が必要である。
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東北大学では青葉山キャンパスを北青葉山キャンパスと東青葉山キャンパスに分けて管理しており、それぞれ理・薬学部と工学部が使用している。
 
その名の通り[[青葉山 (仙台市)|青葉山]]山中に置かれているキャンパスで、広大な敷地と豊かな自然が特徴。反面、アクセスに難があり、多くの学生がバイク・自家用車を利用している。(青葉山キャンパス付近には青葉台以外に住宅地が存在せず、大半の学生は市街地もしくは八木山から青葉山へ登る必要がある)そのため周辺での渋滞・事故(特に冬季)が問題となっていた。[[2015年]][[12月6日]]に[[仙台市地下鉄東西線]]が開通し、最寄り駅として[[青葉山駅]]ができ、[[仙台駅]]から9分で結ばれる立地となった<ref name="newswatch20151205">{{cite news
|title = 最後の地下鉄新路線? 仙台「東西線」は何をもたらすか
|url = http://newswitch.jp/p/2857
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雨宮キャンパスは農学部(および大学院)のみが使用していたキャンパスである。
 
敷地内に複数の研究棟(延べ31,322㎡)と農場が整備されており、いる。農学部単体としてみれば、青葉山新キャンパス(農学部延べ27,028㎡)に移転した現在よりも広大な敷地面積を有していた。
 
周辺は超高層マンションが林立する住宅地であり、同じく市内中心部に位置する片平・星陵キャンパスとは異なる閑静な雰囲気を持っている。また、[[宮城教育大学]]上杉キャンパス(附属幼稚園・小学校・中学校)や[[仙台市立上杉山中学校]]、[[宮城県立視覚支援学校]]など各種学校が集中する文教地域でもある。付近には勝山企業が経営する迎賓館・結婚式場(勝山館)や[[勝山公園]]がある。かつては勝山企業が経営するボウリング場、スケート場、スーパー、飲食店、インターネットカフェ等があったが、現在はいずれも取り壊され、空き地となっている。
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;使用研究科 : 理学研究科(協力講座として)
;交通アクセス : 仙台市営バス・宮城交通バス 西多賀一丁目西・三神峯公園入口下車 徒歩10分
;敷地の変遷 : 戦前までは[[陸軍幼年学校]]仙台校がかれ、戦後一時期には教養部が置かれたことがある。現在は、理学部付属施設の原子核理学研究施設を改組した全国共同利用センターである電子光理学研究センターがある。
 
==== キャンパス統合問題 ====
東北大学は仙台市青葉区内の5ヶ所にキャンパスが分散している。片平および雨宮キャンパスについては、青葉山キャンパスに隣接する宮城県有地への移転が1994年ごろから計画されていたが、宮城県有地を使用している[[仙台カントリー倶楽部]]との土地明け渡し交渉が難航していたため、計画の進行が停止していた。
 
2003年4月、宮城県と仙台カントリー倶楽部との間で和解が成立。今後、移転計画が本格化することになるが、移転費用として見込んでいた農学部の跡地([[イオンモール]]株式会社へ売却)や片平キャンパス南部分([[東北学院大学]]へ売却)などの評価額が[[バブル景気]]期から比べて相当下落してしまったこともあり、移転費用をどう捻出するか問題になっている。
 
青葉山新キャンパスの敷地内には2015年開業の[[仙台市地下鉄]][[仙台市地下鉄東西線|東西線]][[青葉山駅]]が、川内北キャンパスの北門地下には同線[[川内駅 (宮城県)|川内駅]]が建設されている。また、学会などで国際センターと川内記念講堂とが有機的に連携して利用されることを想定し、同線[[国際センター駅 (宮城県)|国際センター駅]]([[宮城県スポーツセンター]]跡地)と川内記念講堂との間には接続歩道が建設された(国際センター西バス停から萩ホールに抜けられる階段が設置されている)。
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[[カフェテリア]]では[[酒類]]も一日中販売されている他、初夏の数日には各カフェテリアが「ビール祭り」を開催する。特に川内キャンパスでは、[[屋台]]をずらりと並べた[[ビアガーデン]]が設置される。
 
また、[[FIFAワールドカップ]]開催中には第一食堂・工学部中央食堂にて生協主催の[[パブリックビューイング]]が行われ、生協によってソフトドリンク・軽食が販売される。
 
以下、建物ごとに記載する。括弧内は別会計のコーナー、または同一建物内で別の部屋となっているものを列記。
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</div>{{clear}}
 
=== 金融機関・投資ファンドとの協 ===
東北大学は、発[[ベンチャー]]企業を支援する[[ベンチャーキャピタル]]として「東北大学ベンチャーパートナーズ」を設立している<ref>[http://thvp.co.jp/ 東北大学ベンチャーパートナーズ](2018年11月25日閲覧)。</ref>。さらに研究成果をスピーディーに事業化するため、学外の金融機関や投資ファンド協定を結んでいる。
;TICC大学連携投資事業有限責任組合 (TUF)
:東北イノベーションキャピタル (TICC) が運営する[[ベンチャーキャピタル]]で、投資対象が東北大学の先端技術を活用する企業に限定される。類例に、北海道大の「北大アンビシャスファンド」、東京大の「UTEC1号」、大阪大の「阪大イノベーションファンド」がある。
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== 社会との関わり ==
=== 阿部次郎記念賞 ===
東北大学文学部は東北大学創立100周年を機に、東北帝国大学法文学部長だった思想家の[[阿部次郎]]を記念して「青春のエッセイ 阿部次郎記念賞」という[[文学賞]]を創設した。公募形式で、高校生が対象。公募形式の文学賞を創設している国立大学は、日本国内では東北大学以外にない。なお、主催には「阿部次郎記念館」という団体も入っているが、これは東北大学文学部が開設している施設であり、実質的に東北大学が全てを主催する文学賞である。
 
=== サイエンスカフェ ===
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=== 公開講座 ===
学外での公開講座として「高校生のための公開講座」「みやぎ県民大学」などがある。また、学内講座の開放である『開放講座もある。
 
=== 杜の都女性科学者支援ハードリング支援事業 ===
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=== 核開発疑惑の研究所から留学生受け入れ ===
同大学の[[原子力工学]]の[[三村均]][[教授]]の[[研究室]]が、[[経済産業省]]が[[核兵器]]開発への関与の疑いがあるとして規制リストに掲載した[[イラン]]の[[研究所]]・『[[ジャッベル・イブン・ハヤーン研究所]]から[[留学生]]を受け入れた上、使用済[[核燃料]]の再処理についての研究の指導を行っていたことが、[[2009年]][[7月]]に発覚した。経済産業省は、同大学に対し、規制リストに掲載されていることを[[2006年]][[7月]]に説明したものの、三村教授は説明会には出席しておらず、リストの存在をも知らなかったといい、規制についての説明後も、指導を行っていたという。核開発への国際社会の風当たりが強い中、大学の対応が批判を受けている<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090731-OYT1T00135.htm イランの核疑惑研究所から東北大に留学生] 読売新聞 2009年7月31日</ref><ref>[http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090731-OYT1T00603.htm 東北大、規制説明後もイラン留学生と核研究] 読売新聞 2009年7月31日</ref><ref>[http://mainichi.jp/select/world/news/20090731k0000e040067000c.html 東北大:イラン留学生に核燃料再処理の研究 経産省聴取へ] 毎日新聞 2009年7月31日</ref>。
 
=== 実践宗教学寄附講座の設置 ===
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=== ブラック企業疑惑 ===
2007年7月に同大学の助手が同大学病院の研究室から投身自殺する事件が発生。遺族側は2012年12月11日に自殺した原因は過労であるとして、1億円の損害賠償を求める訴訟を[[仙台地判所]]に起こした<ref>[http://www.asahi.com/edu/news/TKY201212120468.html 「自殺原因は過労」東北大側を訴え 両親が賠償求める]</ref>。その後東日本大震災による研究所全壊を理由に、2年以内の研究室閉鎖を大学から一方的に告げられ、心のバランスを崩した准教授が2012年1月に自殺。同年10月「過重労働の恣意(しい)的強制があった」として労災認定を受けた<ref>[http://blog.goo.ne.jp/stopkaroshi/e/5eafbdc81acbd6dceef2ccb611719450 過労死:自死の大学教員遺族、根絶目指し法整備求める]</ref>。これらの結果を受け、2013年[[ブラック企業大賞]]ではノミネートされた企業8社のうち11%もの得票率を得て[[ワタミ]]グループに次ぐ2位となり、特別賞に「入賞」した<ref>[http://blackcorpaward.blogspot.jp/2013/08/2013.html ブラック企業大賞2013 大賞・各賞]</ref>。
 
== 脚注 ==