「木曽谷」の版間の差分

→‎交通: 吉蘇路について加筆
(出典 , 関連項目 御林, Category:日本の林業史)
(→‎交通: 吉蘇路について加筆)
 
== 交通 ==
美濃国から信濃国を結ぶ位置にあるが、平地に乏しく急峻な地形が続くため、交通の難所として知られてきた。『[[続日本紀]]』には[[702年]](大宝2年)に岐蘇山道の建設、[[713年]](和銅6年)に吉蘇路の開通に関する記事があるが、[[日本の古代道路|古代官道]]の[[東山道]](岐蘇山道)は、木曾谷を通らず、美濃から[[神坂峠]]を越えて[[伊那谷]]へ抜けるルートを通った<ref name="武部2015">{{Cite book|和書|author=武部健一 |title=道路の日本史 |edition= |date=2015-05-25 |publisher=[[中央公論新社]] |series=中公新書 |isbn=978-4-12-102321-6 |pages=50-51}}</ref>
 
吉蘇路は、神坂峠付近の東山道が険しく交通が困難であったために開削されたもので、開通翌年2月の『続日本紀』の記述によれば、工事責任者だった笠朝臣麻呂(かさのあそみまろ)・門部連御立(かどべのむらじみたち)・山口忌寸兄人(やまぐちいみきえひと)らは吉蘇路完成の論功行賞を受けている<ref name="武部2015"/>。吉蘇路については様々な解釈がなされているが、東山道に対する後の[[木曽路]]の前身となる道が新たに築かれたというのが有力な説で、冬季の迂回路として使われたとの見方もされている<ref name="武部2015"/>。当時[[切り株]]が残され歩きづらかった信濃路の様子について、『[[万葉集]]』巻十四・東歌の中で詠まれている<ref name="武部2015"/>。
 
近世には[[中山道]]が木曾谷ルートに設定され、11の宿場(木曾11宿)が置かれ、明治以降は[[中央本線|中央西線]]や[[国道19号]]が開通した。