「ゴシック体」の版間の差分

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呉竹体は当て字
→‎歴史: 一応参考文献があるものの、出典としては十分でない。
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== 歴史 ==
タイポグラフィとしての和文ゴシック体は、欧文サンセリフ体の影響によって出現したものと言って良いが、かといって[[漢字]]・[[仮名 (文字)|仮名]]の文化的背景の無いところから出現したとするのには無理がある。おそらくは、縦画と横画の均一なその形態は[[隷書体]]の流れを汲むものと考えられる。隷書体は筆文字であるのでその起筆部・終筆部の形状は角が立ったものではなく、その変貌こそがサンセリフの設計概念を取り入れた和文ゴシック体の誕生と言えよう。
 
上記のようにゴシック体が正確にいつ出現したかは明らかでない。しかし、『[[朝日新聞]]で読む20世紀』([[1999年]][[1月1日]]発行の『[[知恵蔵]]』の別冊)に掲載されている朝日新聞の記事を読むと、[[1919年]]1月1日付の[[ヴェルサイユ条約]]について報じる記事で「講和問題」の文字が小さいながらもゴシック体で表記されているのが確認できる(p38より)。また、[[1936年]][[8月12日]]の[[1936年ベルリンオリンピック|ベルリンオリンピック]]における水泳の記事で小さいながらもゴシック体で見出しを付けていることから、この頃には使われる機会が増えていたことが伺える。
 
たいていの印刷物において、本文が[[明朝体]]で組まれ、その中で見出し部分や、強調したいところにゴシック体が使われた。それには、縦画と横画の差が大きく、欧文のローマン体にも擬せられる明朝活字が本文用書体として可読性にすぐれていた一方、[[インキ]]のつく面が広く視覚的訴求性の高いゴシック体の特性があった。