「意富比神社」の版間の差分

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==由緒==
社伝では、[[景行天皇]]40年(西暦[[110年]]頃)、[[日本武尊]]の東征の折に当地で天照皇大神を祀り、東国平定の成就を祈願したのに始まると伝える。当時、当地の住民は日照りに苦しんでおり、日本武尊があわせて祈雨を念じると、雨が降り出したとも伝える。実際には、元々当社では地方の太陽神である「意富比神(大日神)」が祀られていた。この一帯が[[伊勢神宮]]に寄進されて[[御厨]](夏見御厨。船橋御厨ともいう)となり、その守護として伊勢神宮の祭神である天照大神を祀る神明社が建立され、後に当社に神明社が合祀され、意富比神が天照大神と同一視されたものとみられている。[[六国史|国史]]の初見は『[[日本三代実録]]』の[[貞観]]5年([[863年]])5月26日条で、[[延喜式神名帳]]では小社に列している。
 
朝廷・将軍家などから崇敬を受け、[[源頼朝]]、[[徳川家康]]などが社領の寄進や社殿の造営・改修を行っている。近代では[[明治天皇]]、[[大正天皇]]、[[昭和天皇]]などの皇族も参拝に訪れている。