「中央公園 (熊谷市)」の版間の差分

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== 歴史 ==
[[熊谷市立富士見中学校]]が現中央公園北半分に[[1948年]]([[昭和]]23年)に開校されたのちに、体育館プールなどを増築した結果、運動場がなくなり、熊谷市役所隣にあった旧中央公園を運動場代わりに使用していた。学校側からの強い要望により、[[1972年]]([[昭和]]47年)11月に富士見中学校の移転が決まる<ref>{{Cite news
| title = 富士見中の移転建設メドつく、現校庭は中央公園に
| newspaper = 埼玉新聞
| date = 1972-11-18}}</ref>
 
[[1981年]]([[昭和]]56年)に「熊谷市総合振興計画基本構想」を策定し、その中で富士見中学校移転後に市制50周年記念事業としてのメモリアルパークとして新しい中央公園が整備されることが決まる<ref>『市報くまがや』熊谷市、1982年3月号</ref>
 
「緑のオアシス」をテーマに進められていた基本計画は[[1983年]]([[昭和]]58年)4月にまとまり、総体的なテーマとして「緑と花と水と太陽」となった。シンボル広場、壁泉、憩いの広場、カナール、芝生広場、記念広場、子供の広場、展望休憩所、四季の道、花木園、緑化相談所のほか、トイレ、駐輪所、公衆電話などの施設の建設が予定された。3年間の工事期間で整備する<ref>{{Cite news
| title = 熊谷市の中央公園 基本計画まとまる
| newspaper = 埼玉新聞
| pagespage = 7
| date = 1983-4-12}}</ref><ref>市報くまがや昭和58年5月号</ref>
 
[[1986年]]([[昭和]]51年)[[5月2日]] オープン<ref>『市報くまがや』熊谷市、1986年5月号</ref><ref>{{Cite news
| title = 熊谷市「中央公園」が完成
| newspaper = 埼玉新聞
| pagespage = 12
| date = 1986-5-1}}</ref>
 
1991年(平成3年)2月23日に、熊谷青年会議所が、京都の[[円山公園 (京都府)|円山公園]]の[[枝垂れ桜]]の流れをくみ孫桜とされる「祇園枝垂れ桜」を植樹した。[[桜守]]の佐野藤右衛門が育てた<ref>{{Cite news
| title = 祇園枝垂れ桜を植樹
| newspaper = 埼玉新聞
| pagespage = 13
| date = 1991-2-24}}</ref>
 
== 年表 ==
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== 主な樹木 ==
* 一重白彼岸枝垂桜
** [[熊谷直実]]の二人の姫の名前が愛称としてつけられている。「玉津留姫」は、1991年(平成3年)2月23日に公園の西に植樹された。「千代鶴姫」は、1991年(平成3年)2月23日に公園の中央南に植樹された<ref>渡辺洵一郎「中央公園の記念樹(熊谷の巨木・銘木・珍木・伝説の木)」『熊谷市郷文化会誌』熊谷市郷土文化会、48号、1993年11月、pp. 11-15</ref>
 
== 隣接施設 ==