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[[林屋辰三郎]]は3の説を挙げており<ref>林屋辰三郎著『日本の歴史』12 ISBN 978-4122045224 等</ref>、[[熱田公]]も「山崎の戦後の混乱の中で略奪に入った野盗の類が放火した、とみるのが自然であろうか」としている<ref name=atsuta/>。[[高柳光寿]]は2の信雄下手人説を採用しており、『秀吉事記』の記事は信雄がまだ大勢力を有していた時期に成立したものであることから、秀吉と信雄との関係を顧慮して秀満のせいに仕立てられたのではないかと考証している<ref>高柳光寿『明智光秀』(1958)p.252-253</ref>。
なお、[[加越能文庫]]の「松雲公採集遺編類纂」中の文書に、天正6年5月に一度天主が倒壊したとの記述があるが、他の資料にはその記録がなく、真偽は不明であるのが現状。
== 復元 ==
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