「トラファルガーの海戦」の版間の差分

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1805年7月9日、ナポレオンからの命令書を受け取ったヴィルヌーブはカリブ海から出航し、大西洋を東へ横断して、7月22日にスペイン北西部にある[[フィニステレ岬]]の沖合いに到着した。この動きを掴んでいたイギリス海軍の[[ビスケー湾]]艦隊は、ここでヴィルヌーブ艦隊に攻撃を仕掛けた([[フィニステレ岬の海戦]])。ヴィルヌーブは敗走しスペイン北西部の[[フェロル]]軍港に艦隊を退避させた。ナポレオンがブレスト軍港への突入命令を繰り返したので、8月10日にヴィルヌーブはフェロル軍港を出たが、イギリス艦隊の圧力に押されて南に針路変更し、今度はカディス軍港へと退避した。
 
この時点でナポレオンはイギリス上陸作戦を断念したとされる。8月下旬にブローニュの遠征軍陣地を引き払ったナポレオンは、その軍勢を内陸部のドイツ方面へ移動させて、イギリスと同盟していた[[オーストリア帝国|オーストリア軍]]と交戦する事になった。一方、ネルソンは封鎖地中海艦隊の一部を率いてヴィルヌーブを追走していたトゥーロンの敵艦隊、カリブ海に到着した所で入れ違なくなった事から地中海艦隊を離れので、8月上旬までにイギリス本土へ帰還していた。
 
=== トラファルガーの海戦へ ===
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* 二等戦列艦「[[ネプチューン (戦列艦・初代)|ネプチューン]]」
*二等戦列艦「リヴァイアサン」
* 二等戦列艦「[[コンカラー (戦列艦・2代)|コンカラー]]
* 一等戦列艦「[[ブリタニア (戦列艦・1762年)|ブリタニア]]」<small>カーネギー少将座乗</small>
* 戦列艦 5隻
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* 二等戦列艦「ビューセントル」<small>ヴィルヌーブ中将座乗(仏)</small>
*二等戦列艦「ネプチューネ」<small>(仏)</small>
*二等戦列艦「[[シュフラン (戦列艦・初代)|ルドゥタブル]]」<small>(仏)</small>
* 戦列艦 3隻
 
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12時20分、北縦隊を率いるネルソンはフランス第1団に向けていた針路を突如南に45度変え、第2団に向けて突入させた。これは敵先導艦を牽制して速度を落とさせる為のフェイントだった。コリングウッド提督率いる南縦隊はフランス第3団と第4団の混在艦列に向かって直進し続けていたので、その旗艦「英ロイヤルソヴリン」が最初にフランス艦列に接触した。
 
12時25分、「英ロイヤルソヴリン」は第4団副旗艦『西サンタアナ』の船尾側を掠めるように接触した後に、砲弾を撃ち込みながら北へ舵を切って強行接舷すると素早く架橋て海兵部隊を突入させた。旗艦「英ロイヤルソヴリン」の突入後、南縦隊前衛の各艦は南へ広がるようにして斜めに航進し、それぞれが標的を定めたフランス第3団の各艦に突入していった。南縦隊後衛の「英ドレッドノート」「英プリンス」以下3隻は更に南へ角度を取り、フランス第4団旗艦「西プリンシペデアストゥリアス」の攻撃に向かった。
 
12時40分、北縦隊の旗艦「英ヴィクトリー」もフランス艦列に到達し、第2団旗艦『仏ビューセントル』に衝角突撃した。北に移動する『仏ビューセントル』はこれを掠めるようにしてかわしたが、その船尾に対して開かれた「英ヴィクトリー」左舷の全砲門から多数の至近砲弾を撃ち込まれ船体後部を粉砕された。『仏ビューセントル』を襲う「英ヴィクトリー」を阻止するべく、隣接する『仏ネプチューネ』と『仏ルドゥタブル』がそれぞれ砲門を向けて無数の至近砲弾を撃ち込み続けたので「英ヴィクトリー」もまた船体のあらゆる箇所を撃ち砕かれて満身創痍となった。
 
12時50分、『仏ビューセントル』後方を通過した「英ヴィクトリー」は敵艦列の真っ只中に飛び込む形となり、全身に砲弾を受けながら南東へ進んで『仏ルドゥタブル』と衝突した。北縦隊2番艦「英テレメーア」も南東へ舵を切って『仏ルドゥタブル』の攻撃に向かった。3番艦の「英ネプチューン」は北東へ船首を向け『西ヌエストラセニョーラデラサンティシマトリニダード』に突撃した。「英ヴィクトリー」の近接砲撃で半壊状態となった『仏ビューセントル』には4番艦「英リヴァイアサン」と5番艦「英コンカラー」が襲い掛かり、それぞれ接舷して海兵隊を斬り込ませた。
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[[ファイル:Trafalgar-Auguste Mayer.jpg|サムネイル|大破したビューセントル|代替文=]]
[[ファイル:Trafalgar mg 9431.jpg|サムネイル|ルドゥタブルの死闘]]
13時30分、「英リヴァイアサン」と「英コンカラー」に包囲されて海兵隊の架橋突入移乗攻撃を受けたフランス第2団旗艦『仏ビューセントル』が白兵戦の末に降服した。こうしてヴィルヌーブは早々に捕虜となった。この頃、遊兵と化していたフランス第1団は単縦陣のまま後方の味方に加勢する為に西への回頭運動を行っている最中だった。また北縦隊の副旗艦「英ブリタニア」以下の6隻もフランス第2団の艦列に突入し、この方面ではイギリス側が一気に優勢となった。
 
13時55分、北縦隊旗艦「英ヴィクトリー」相手に奮戦していた『仏ルドゥタブル』であったが「英テレメーア」にも挟撃された事で力尽き、ついに降服した。『仏ルドゥタブル』の乗員死傷率は8割を越えておりフランス艦隊内で最も死力を尽くして戦った船となった。
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14時15分、南縦隊旗艦「英ロイヤルソヴリン」が接舷する第4団副旗艦『西サンタアナ』を制圧して降服に追い込んだ。また、第3団旗艦『仏アルヘシラス』も接舷交戦の末に突入したイギリス海兵隊に甲板上を制圧されて拿捕された。
 
14時30分~、ここからはイギリス各艦の接舷攻撃と海兵隊の架橋突入移乗攻撃によってフランス第2団および第3団の各艦が次々と制圧されていき、降服したフランス戦列艦とスペイン戦列艦はおよそ10隻を数えた。敵艦拿捕の報せは総旗艦「英ヴィクトリー」に逐一届けられて死の間際にあったネルソンを満足させていた。
 
戦闘海域の西方にいた第1団旗艦『仏フォルミダブル』以下フランス艦4隻は、友軍への加勢を諦めてそのまま南へ航行し戦線離脱を図った。第1団所属の『西ラヨ』以下スペイン艦2隻は別行動を取って北方へと退避した。フランス第4団は旗艦『西プリンシペデアストゥリアス』を主軸にして奮戦していたが、北方の友軍の劣勢を目の当たりにして士気が低下する中で徐々に戦列が乱れ、そこにイギリス南縦隊の「英プリンス」以下2隻が更に接近して『西プリンシペデアストゥリアス』に多数の砲弾を撃ち込んだ。