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|名称 = 雷丘
|画像 = [[File:Ikazuchi-hill-1.jpg|300px|雷丘]]
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|標高 = 110
|地図 =
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'''雷丘'''(いかづちのおか)は、[[奈良県]][[高市郡]][[明日香村]]大字雷にある[[標高]]110m110[[メートル|m]]ほどの[[丘]]。「大君は神にしませば天雲の雷の上に庵りせるかも」という[[柿本人麻呂]]の句が残っている。
 
== 小墾田宮 ==
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小墾田宮(おはりだのみや)は、飛鳥時代の推古朝および奈良時代の淳仁朝・称徳朝の宮殿。「小治田宮」とも書く。近年の発掘調査で、雷丘とその周辺にあった可能性が高いとされている。
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ファイル:雷丘東方遺跡出土 「小治田宮」墨書銘土器.JPG|雷丘東方遺跡出土 「小治田宮」墨書銘土器<br />{{small|明日香村埋蔵文化財展示室展示。}}
ファイル:雷丘東方遺跡出土 井戸枠.JPG|雷丘東方遺跡出土 井戸枠<br />{{small|明日香村埋蔵文化財展示室展示。}}
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== 発掘 ==
[[2005年]]([[平成]]17年)11月、発掘で埴輪の欠片などが見つかり[[少子部スガル|小子部栖軽]](ちいさこべのすがる)の[[古墳]]墓である可能性や雷神伝説(後述)との関連をうかがわせた<ref>[http://www.47news.jp/CN/200511/CN2005112101003557.html 雷神捕まえた臣下の墓か奈良・雷丘で5世紀の埴輪]:47NEWS2005年11月21日</ref>。
 
雷山の東南麓は飛鳥時代から奈良時代の遺跡が数多く残り、現在も発掘調査が続けられている。
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数年後、小子部栖軽が亡くなると雄略天皇は彼の忠義を讃え、この丘に「取雷栖軽之墓」(雷神を捕らえた栖軽の墓)と墓標を建てる。これに雷神が腹を立て墓標を踏み潰すが、その割れ目に足を取られ抜けなくなってしまう。天皇は雷神を逃がし「生之死之捕雷栖軽之墓」(生前も死後も雷神を捕らえた栖軽の墓)と墓標を建て直した。
 
== 周辺 ==
* [[雷ギヲ城]] - 雷丘の北200mほどに位置する小さな丘。ここにも築城跡があるが築城者、築造年ともに不詳。
* [[雷丘北方遺跡]]
* [[雷丘東方遺跡]]
* [[雷内畑遺跡]]
* [[甘樫丘]]
* [[水落遺跡]]
* [[石神遺跡]]
* [[小墾田宮]]
* [[豊浦寺遺跡]] - [[豊浦宮]]、[[向原寺]]
* [[飛鳥寺]]
* [[飛鳥板蓋宮]] - [[岡本宮]]
 
== 交通 ==
* [[奈良交通]]バス「飛鳥」または「豊浦」下車、徒歩5分。
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<references />
{{Reflist}}
 
{{Japanese-history-stub}}
{{mountain-stub|pref=奈良県}}
 
{{DEFAULTSORT:いかすちのおか}}
[[Category:奈良県の山]]