「ベータマックス」の版間の差分

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これ以前の家庭用VTR規格はいずれも本格的な普及を見なかったが、ベータマックスのヒットにより家庭用VTR市場が開拓され、その初期段階ではVHSよりも高い[[市場占有率|シェア]]を占めていた。しかし、VTRの[[世帯普及率]]が高まる中でVHSと業界を二分した熾烈な販売競争([[ビデオ戦争]])に敗れ、1984年度をピークに販売台数が減少に転じ、ついに[[2002年]]、規格主幹のソニーも生産を終了した。ソニー製ベータマックスVTRは日本国内で累計約400万台(全世界で累計約1,800万台以上)が生産され、ビデオカセットはピーク時(1984年度)には年間約5000万巻が出荷されていた<ref name="Betamax">[http://www.sony.co.jp/SonyInfo/News/ServiceArea/Betamax/ ソニーベータマックスVTRをご愛用のお客様へ]、ソニー、2002年8月27日</ref><ref name="Sony201511">[http://www.sony.co.jp/SonyInfo/News/Press/201511/15-1110/index.html ベータビデオカセットおよびマイクロMVカセットテープ出荷終了のお知らせ]、ソニー、2015年11月10日</ref>。
 
VHSに対する劣勢が顕著となった1980年代前半には、矢継ぎ早に複数の技術革新が行われた。たとえばカメラとデッキを一体化した[[カムコーダ|カメラ一体型VTR]]「ベータムービー」の発売(1983年)、音声[[周波数変調|FM]]記録による[[音質]]の大幅な改善を図った[[ベータマックス#Beta hi-fi|Beta hi-fi]]の発売(19841983年)、FMキャリアを高周波数化することで[[水平解像度]]の向上を図った[[#Hi-Bandベータ|Hi-Band Beta]]の発売(1985年)などがそれである。しかし、いずれもVHS陣営が迅速に対抗規格・対抗機種を投入したために劣勢を覆すことはできず、むしろ販売台数の減少に拍車がかかった。そして1987年、VHS陣営が[[S-VHS]]を投入するに至って、ついに画質面でも追い抜かれ、挽回は絶望的となった。1987年にはメタルテープ使用の高画質新規格である[[#EDベータ|EDベータ]]を発売して画質面で再び優位に立ったが、マニア向けのニッチ商品の域を超えるものではなかった。
 
ソニー自身が[[1988年]]にVHS[[ビデオテープレコーダ|ビデオデッキ]]の製造販売に参入して以降もベータマックスの生産・販売は継続されたが、新規機種の投入は減ってゆき、[[2002年]][[8月27日]]、構成部品の調達が困難になったこともあり、生産終了を発表し、[[新品]]は市場から姿を消した<ref name="Betamax"/>。
 
ベータ規格の代名詞とも言える「ベータマックス」という名称はソニーの[[商標]]として登録されており<ref>「BETAMAX」は1974年9月6日出願、1979年11月30日登録(第1398683号)。</ref>、[[東芝]]、[[三洋電機]]、[[アイワ]](初代法人)、[[日本電気ホームエレクトロニクス]](NEC)、ゼネラル(現・[[富士通ゼネラル]])、[[パイオニア]](現・[[オンキヨー&パイオニア]])などが参入した時点でシステム全体の名称は「ベータ方式」「ベータフォーマット」などとされていた。自社で開発・製造を行っていたのはソニー・東芝・NEC・三洋電機・アイワの計5社で、ゼネラル・パイオニア等の他各社は[[OEM]]供給による販売を行っていた。
日本国外では[[シアーズ|Sears]]や[[:en:Zenith Electronics|Zenith]]、[[ラジオシャック|RadioShack]]、TATUNG([[台湾]]の[[:zh:大同公司|大同公司]])、[[大宇電子]]といったメーカー・[[ブランド]]でもベータ方式に参入し販売されていたが、ソニー以外の各社は[[1986年]]までにVHSの生産・販売に移行した。オーディオメーカーの[[日本マランツ]](現・[[ディーアンドエムホールディングス]])も三洋電機からのOEM供給により日本国外でベータフォーマットのデッキを販売した実績がある。
 
VHS規格と比較した特徴として、